アニメーション映画の「動物農場
」を見た折りに、
イソップ寓話を思い出したものですから、
やっぱり読んでみるかなと思ったのでありました。
岩波の年少向け文庫 ですけれど、
原典ギリシア語からの完全訳というのが気に入って手に取ってみました。
何しろ古いお話ですから、「イソップ寓話」としていったい何編のお話があるのかも定かではないわけでして、本書には300編が収録されています。
のっけから300編と言われると、よほどのぶ厚さを想像しますけれど、
1編は短いもので数行、長いものでも3頁あるかないかというもの。
よく絵本で、イソップからの1編を1冊の本に仕立てたものがありますが、
これはお話を作り込んで脚色したものだと、今さらながらに知ったわけであります。何せ、本書は完全訳なのですから、短くても本物だろうと思うのですね。
短いものですから、一編だけ引用してますと、こんな具合です。
友だちがふたり、同じ道を歩いていきました。とつぜん、クマがあらわれたので、ひとりはすばやく木にのぼって、そこにかくれましたが、もうひとりはつかまりそうになったので、地面にたおれて死んだまねをしていました。クマは鼻を近づけてかぎまわりましたが、その人は息をとめていました。このけものは死んだ人には手をださないというからです。
クマがいってしまったので、もうひとりは、木の上からおりてきて、クマが耳のところでなんといったのかとききました。するとあいては、クマが、これからは、危険なときにたすけもしないような友だちとは、旅行するなといったと、こたえました。
不幸なことがあると、ほんとうの友だちがわかるものです。
ということで、最後の1~2行がいわゆる教訓というわけなのですけれど、
あとがきで訳者が、読者たる年少者に向けて、こんなことを言っています。
このイソップのお話の教訓については、みなさんが、これをそのまま、うのみにしないで、よく考えて読んでくださることを希望します。
つまりは、寓話というものにもやっぱり時代背景あらばこそ、というものもあって、
到底今では通用しない「ホントかよ!」という教訓も含まれているということなわけです。
ですから、本来のイソップ寓話は300編も400編もあるようなのですが、
その中で普遍的な教訓を含んでいるもの、そしてお話としても面白く読める(脚色はあるにせよ)ものが、
代表的なイソップのお話と残っているのだろうと思うわけです。
例えば、「セミとアリのお話(日本では一般的に、アリとキリギリスになりますが)」や
「肉をくわえた犬のお話 」、「北風と太陽のお話」、「ウサギとカメのお話」などなど。
ところで、「うさぎとカメ」と言えば、
♪もしもしかめよ、かめさんよ、せかいのうちでおまえほど歩みののろいものはない、
どうしてそんなにのろいのか
という童謡があるくらいで、てっきり日本の昔話かと思っていたら、イソップなのでした。
それほど馴染んでしまっているのが、イソップ寓話なのだなとしみじみ思った次第です。
ただ、それもそのはずと言いましょうか、日本に伝わったのが豊臣秀吉の時代。
まだ切支丹禁制でなかったのか、天草にあったキリシタン学校の宣教師が日本人の弟子に
意訳させた翻訳本(「天草本(あまくさぼん)」)が最初だとか。
その後、ライオンなどは別として日本でも馴染みの動物がたくさん出てくることもあってか、
イソップ寓話は日本に根付いたようですけれど、あまりに根付いたせいで
その後に編纂された寓話集では、どうやら出所がイソップではないものまで入りこんでしまうように
なってしまったとも言われています。
とにもかくにも、こうした「いまさらぁ??」というようなものを真面目に読んでみるのも乙なものです。
改めてみれば、イソップさんという人は本来のギリシア名ではアイソーポスと言い、
歴史上、実在した人物なのかどうかも分からない…というようなことが分かりますから。