以前、映画版「歓喜の歌」 を見たあとに、立川志の輔のDVD を貸してくれた同僚に、

やっぱりずいぶん前に「歌丸&楽太郎 二人会」 を聴いてきたという話をしたら、

落語のCDを、どぉ~んと6枚!貸してくれたのですね。

嫌いなわけではありませんけれど、日ごろなかなか聴く機会のないままになっておりましたけれど、

正月休みはなんとも打ってつけなような気がして、

じっくりじっくり聴き始め、ようやく?6枚全てを聴き終えたのでした。


柳家権太楼2「不動坊火焔」「代書屋」-「朝日名人会」ライヴシリーズ22/柳家権太楼 柳家花緑1「朝日名人会」ライヴシリーズ53「七段目」「笠碁」/柳家花緑 十代目 金原亭馬生 十八番名演集(5)/金原亭馬生(十代目)

ここに並べたのは、さしあたりamazonで見つかった三枚ですけれど、

いかにも落語らしい雰囲気が漂うではありませんか。


貸してもらった6枚のうち、4枚は古典落語、2枚は新作ということになりますが、

聴いていて思うのは、今さら考えるまでもないことなのですけれど、

クラシック音楽とそっくりだよなあ・・・ということ。


基本的に「古典落語」は、昔から語り継がれた噺なわけです。

それを噺家の個性と演出でもって、飽きさせずに聴かせるということですから、

ベートーヴェンの交響曲をフルトヴェングラーが振ったときとカラヤンが振ったときの違い、

そして同じ曲はカルロス・クライバーが振ってもまた違う、アルノンクールが振ってもまた違う…

こういう違いを聴くようなところがひとつの楽しみである点、これがそっくりではありませんか。

まくらがそれぞれなのは、協奏曲のカデンツァにでも擬えましょうか。


一方、クラシックと言われるカテゴリーの中にも、現代音楽のようなものが出てくるように、

落語にも「新作」が登場してきます。

それまでの常識を覆すような革新的なこと(例えば客席の客をいじるとか…)もあったりします。


ということで、落語をクラシック音楽に擬えて書き始めて気がつくことは、

これは美術の方でも同じか!ということ。


美術の古典と言えば、神話画や宗教画なんかになるのではと思いますけれど、

例をあげれば、聖母マリアに対する受胎告知やイエスの磔刑などはいろいろな画家の手によって

何度も何度も描かれた主題なわけですね。

でも、それらの絵が同じものを描いても、同じ絵ではないことは明らかで、

その描き方などを見比べて楽しんだり、研究対象としたりということはやっているわけです。


こう考えると、落語も「芸」であって、これは「芸術」の「芸」でもあるのですよね。

とはいえ、むりやり研究対象のようなものにもち上げず、

(もちろん、落語を研究されている方はおいででしょうけれど)

「笑い」という和やかな雰囲気を作り出す装置として楽しむというのが、

いちばんの接し方ではありましょう。