どうしようかなと思っていたのですけれど、気分転換にと思って見に行ったら、

思わぬ「癒し」を得られました。ディズニー/ピクサーの「ウォーリー」です。


映画「ウォーリー」

ひと頃であれば、大人の日々荒んだ?心に無垢な気持ちを甦らせるのは、

子役の名演技というところだったかもしれませんけれど、

芸達者な子役 が続々現れるにつけ、だんだんと鼻につくような気もしてしまうわけで、

今や「無垢さ」を感じ取れるのは、むしろ本来は無機質なロボットからなのかあ…

と思うと、複雑な思いがするものですね。


人類が、大量消費のあげくゴミの処理に困って、地球を捨てて以来700年。

太陽電池で動いている、小さなゴミ処理ロボットのウォーリーは、

もはや大量生産された同僚のロボットがすっかり壊れてしまった後も、

誰一人いなくなった地球で、黙々とゴミ処理に励んでいます。


すでにこのあたりから、寂寞さを感じると同時に、なんとも健気な姿に思えてくるわけです。

そんな毎日の中に、突然宇宙から謎のロボット、イヴがやってきます。

ゴミの中から見つけ出したビデオ(どうやらミュージカルが収録されている)を見ているうちに

少々色気づいた?ところでもあったウォーリーは、イヴ(なぜか女性らしい…)となんとか仲良くなりたい。

この辺りの一途な思いもまた、健気。


ところが、このイヴが宇宙に連れ戻されるに至って、ウォーリーの活躍は俄然目覚ましくなります。

ウォーリーにとっては、ただ単にイヴと仲良くしたいという思いだけなのですが、

実は地球を不在にして700年の惰眠をむさぼった人類に

故郷・地球を思い出させることになっていくのですね。


どれほどの惰眠だったかは、描かれた人類を見れば一目瞭然ですけれど、

意外に目覚めの良さを見せる船長(ノアの方舟のノアのようなものか…)の活躍も見逃せません。

皆を率いるとの意識だけは、何代かの時を経ても受け継がれていたということなのでしょう。

「2001年宇宙の旅」のパロディになっている「ツァラトゥストラはかく語りき」 を音楽に使った場面

(どういう行動をとるかは、ここではいいません。詰まらなくなってしまいますから)

では、「そりゃ、あんた、そんな動きは無理だよ」と、思わず突っ込みたくなってしまいますが。


船長のこうした行動の裏には、ロボットを操っているようでいて操られていたという

「ターミネーター」 シリーズのような事情があって、これは見え見えではありますけれど、

そういうストーリーの流れそのものを云々するよりも、

ある時々に見られる細かな部分を見ることによって、思わぬ「癒し」が得られるのですよ。


困難に次ぐ困難の末に、ついに基板までいかれてしまって、瀕死のウォーリー。

これを、イヴが部品を入れ替えて修理したものの、

動けるようになったウォーリーはどうも別人(別ロボット?)になってしまったかのように、

イヴのことさえ分からないようす。


そりゃあ、基板まで変えてしまったら、もうロボットは別ものなわけで…と思ったところが…

何かと「理屈にあわない」ことをああだこうだ言う方 ですけれど、

これはファンタジーだからと都合よく割り切れば、またそこに「じわん」とした感じが。


そうそう、本編の前についているマジシャンの短編アニメも、

おまけというには充分に楽しめるものになっておりますよ!