「太宰治 没後60年記念展」 東京・三鷹は、太宰治ゆかりの地 であることから、

三鷹市美術ギャラリーで太宰治 没後60年記念展を見てきました。

長っぴきの風邪がようやく治まりを見せかけたので、

近いところから出歩き初めというわけです。


太宰の生涯をたどる形で、

特に晩年の三鷹で過ごした辺りを中心に、

写真パネル、書簡、原稿、そして所持品などなどが

展示されていました。


取り分け注目だったのは、数々の書簡でしょうか。

その中でも、川端康成 に宛てた「泣訴状」とも呼ばれるものは、

「なんとまあ、直情径行なことか!」

と、おとなこどもというか、こどもおとなというか、

そんな太宰がくっきり浮かびあがってくるのですね。


もともと昭和10年(1935年)の第一回芥川賞に

太宰の「逆行」が候補となる(ということは落選!)のですが、

落選にされたはらいせに?選者であった川端康成を批判していたりしながら、

今度は「晩年」が仕上がると、やおら泣き落としの手紙を送り付けたという次第。


私に名誉を与えて下さい。
「晩年」一冊のみは恥ずかしからぬものと存じます。
私を見殺しにしないで下さい。
きっとよい仕事できます。

引用したのはほんの一部で、こうした泣きごとが延々、長い巻紙にずぅっと綴られているのですよ。

また、「富嶽百景」の中に、恩義のある井伏鱒二 の名前を出したことに対して、

井伏からの叱責が届くや否や、慌てふためきうろたえる太宰の手紙が井伏のもとに届きます。

「同じ過ちは二度と繰り返しません」と言うものの、

出版社に送ったばかりの続きの原稿にまた井伏の名前を書いてしまったが、

すぐに消すことを求めたので「万が一にも大丈夫」と言いつつ、

それでも「万が一の場合はごめんなさい」的なことをぐだぐだ書いているのですね。


しかしまあ、文学に限らずですけれど、

作品に興味があれば作者についても知りたくなるようなところはありながらも、

太宰ほどその生涯を絡めて話題にされる例も珍しいですよね。

没後60年だというのに。


ところで、今回のブログ・テーマが「絵の話」になっているのは、

なにも「展覧会」とこじつけるわけばかりではなくって、

実際、太宰の描いた油絵が5点、展示されていました。

学生時代の英語の教科書に人物の顔をたくさん書いた「落書き」も展示されていて、

「なかなか達者なもんだ」と思っていたのですが、

後年の油彩画も、特に肖像(誰かはわからない)を描いた2点などは

個性的な豊かな色使いで「へえ~」と思えるものなのでした。

というわけで、「絵の話」。