「偶然性」ということに関連して、マックス・エルンストの話 の折りに、
ジョン・ケージを引きあいに出しましたけれど、
素人考えの類推だけでなくて、大いに関係があったようです。
1942年当時、西海岸にいたケージをニューヨークに招いたのが、エルンストであったと言います。
やっぱり、「偶然」ではなかったようで。
とはいえ、実はケージの音楽というものにおよそ接したことがなかったものですから、
これも機会と聴いてみることにしたわけです。
ただし、雰囲気というか、先入観的に言うと、
「聴く」というより「見る」パフォーマンスなのかなと思って、
You Tubeで検索をしてみると、出てくる、出てくる・・・。
でもって、恐る恐る聴いてみたみたわけです、ジョン・ケージの音楽を。
現代音楽の中でも、相当に名の知られた作曲家なだけに
どれほど耳に刺激的な響きが飛び出してくるものかと思ってみれば、
どうやらそれほどでもない。
あれこれ聴いてみるうちには、やっぱり「なんじゃ、これ!」 と思ったり、
「これも音楽というのか…」と思しきものにも巡り合いはしたものの、
例えば、木琴・鉄琴による「Dream」などはアンビエントというか、ヒーリング・ミュージックのようでもありますし、
自らが考案したというプリペアド・ピアノのための曲も驚くほどではありませんでした。
むしろ、動画で見たために、釘やら何やらで詰め物をされたピアノが、
なんだか満身創痍で、本来の声(音)を出せない患者のようで痛々しかったですが。
と、それなりに「音の出る」音楽は、
すべてではないにせよ、敬遠するばかりの音楽ではないなと認識したわけですけれど、
ジョン・ケージと言えば、むしろ「音の出ない」音楽が衝撃的に有名なわけですよね。
「4′33″」というタイトルどおり、4分33秒間、奏者は一音も発しない。
奏者が音を発しなくても、その4分余りの間には軽い咳ばらいやら、もじもじ動く音やら、
場合によっては居眠りのいびきとか、奏者も椅子をがたつかすことがあるかもしれません。
そうした雑音とも思える「音」を共有する時間が、音楽を共有しているとケージは考えたわけです。
「偶然性」という意味では、どのタイミングでも同じ音の聞こえる「4分33秒間」というのは
絶対にあり得ないわけですから、まさしく偶然の音楽であり、不確定性の音楽なのですね。
ケージ自身は、こんな言葉を繰り返し口にしていたそうです。
自分の音楽でも他人の音楽でも構わないのですが、その時私たちが本当に静かにしていて全員が耳をすましているという状態があれば、そうしたこと自体が音楽であってくれたらいいと思うのです。
初演に接した人は、さぞかしびっくりしたでしょうけれど、
こういう曲があると分かっている人には、パフォーマンスとして楽しめるようですね。
個人的には曲の存在は知っていたのですけれど、
(何も演奏されないにも関わらず)3楽章構成になっているとは知らなかった。
You Tubeにあった、この映像では楽章間に指揮者が汗ぬぐうところがあって、
聴衆から笑いが起こるという・・・これも、音楽だということです。
さて、それでは皆さんと一緒に、4分33秒間の沈黙を楽しんでみるといたしましょう。