ちょっと前に、ラヴェルのピアノ協奏曲の話 をしましたけれど、
その作曲にあたって、ラヴェルはこんなことを言っています。
同時に2曲の協奏曲を構想して書いていくのは、面白い経験でした。第1のものは、私が自分でピアノを弾く予定ですが、言葉のもっとも厳密な意味での《協奏曲》でして、モーツァルトとサン=サンーンスの協奏曲の精神にのっとって作曲しました。
そして、続けてこんなことも…。
実際私見によれば協奏曲の音楽というものは快活華麗であるはずで、深刻であろうと熱望したり劇的な効果をねらったりする必要はないのです。何人かの偉大な古典音楽家たちについて、彼らの協奏曲はピアノの側にすこしも立たず、ピアノにさからって構想されていると言われています。私としては、この判断は完全に根拠のあることだと思います。
何人かの偉大な古典音楽家たち…
さすがにベートーヴェンを引き合いに出すのは不遜?にしても、
おそらくはブラームス あたりの巨大な協奏曲のことを言っているものと想像できるわけです。
もはや「挑戦状」と言っても過言ではないほど!
もっとも、ブラームスは1897年に亡くなっていますので、
ラヴェルが協奏曲を書く頃(1929~1931年)にはすでにこの世におりませんから、
喧嘩にも何もなりませんけれど。
では、そのラヴェルが作曲にあたり「協奏曲らしい協奏曲」として気にかけたのが、
冒頭の引用どおりモーツァルトとサン=サーンスということなのですね。
モーツァルトのピアノ協奏曲ならば、軽快な明るさのある作品なのだろうなとか、
割りあいとピンとくるのですけれど、サン=サーンスのピアノ協奏曲はどんなだったかな…。
パスカル・ロジェのピアノ独奏で、
シャルル・デュトワが指揮をとったものです。
右のジャケット写真は、2枚組の全集盤ですが、
今回聴いたのは、4番と5番がカップリングされた方でした。
全5曲のピアノ協奏曲のうち第4番は
ともするとサン=サーンスの作品中最も優れたものとも
目されているようです。
なるほど、開始部分の確固たる出だしから
最後に行進曲風に衣替えして現れる循環主題が印象的ではありました。
第5番の方は、避寒先のエジプトで書かれたこともあって「エジプト風」と言われています。
なんでも、第2楽章にはヌビア(エジプトのナイル河上流、スーダンにまたがる辺り)のメロディーが使われているそうなのですよ。
もともと、サン=サーンスは、相当に達者なピアノ技巧の持ち主(ラヴェルと違って…)だったそうですけれど、
晩年に達してむしろヴィルトゥオーゾ志向でない、情緒に溢れた曲を生み出したのだと言われています。
もしかすると、このあたりのところが、ラヴェルに「範たるべし」と思わせたのかもしれないですね。
ただ、ちょっと穿った線から想像してみますと、
ラヴェルがサン=サーンスに肩入れしたのは「案外、こんなことかもね」とも思えてくることがあります。
フランスの若手作曲家の登竜門として「ローマ大賞」(画家にもありますね)がありますけれど、
ラヴェルはこれに5回挑戦して、結局とれずじまい。最後は年齢制限オーバーで失格とか。
実は、サン=サーンスも同様だったのだそうですよ。
同病ならぬ、同類相憐れむと言った感覚が、表向きそうだとは言わないまでも、
あったんじゃあないでしょうかねえ。
