これもまたこないだの迷宮美術館ネタ なんですけれど、今度はマックス・エルンストです。
まずは番組でも紹介された「雨後のヨーロッパ」(1940-42)を見てみましょう。
さすがはシュルレアリスムの代表的画家だけあって、見事なほどの「不思議世界」。
見るからにSF的香りが濃厚に漂ってきます。
真ん中にふたつの人かげらしきものが見てとれますが、なんせ一人は鳥人間ですから。
と、そういうことをいいたいのではなくって、景色の方です。
岩肌の感じが何とも言えないものになっているのですね。
ここで使われている技法というのが、デカルコマニーというものなのだそうです。
小さな画像では分かりにくいとは思いますが、ご容赦いただくとして、
岩の面が、インクの擦れでできているような感じなわけです。
そもそもデカルコマニーというのは、
つるつる系の(絵の具がなじんでしまわない)紙に絵の具を塗って、
その上から別の紙をかぶせ、上からこすって、絵の具がべったり挟まれた状態を作り出し、
それから紙をひきはがすと出来上がりというもの。
言ってみれば、ロールシャッハ・テストをやるときに、紙を半分に折るのでなくして
2枚の紙を使うといったものといったら良いでしょうかね。
これも、そんなふうにして作られたと思しき一枚、「沈黙の目」(1943-44年)という作品です。
1950年代になると、音楽の世界でもジョン・ケージが「偶然性の音楽」を始めたりしますけれど、
デカルコマニーにもかなりの度合で偶然性が入りこむわけで、
どうやら芸術の潮流というのは、何かしら類似するところがあるようですね。
エルンストは、デカルコマニーによってできた模様をじいっと見つめ、
「ここは岩っぽいな」とか「ここんとこにちょっと手を入れると、別のものに見えるぞ」てな感じで
全体像を仕上げていったということで、「偶然性の絵画」と言えないこともないかなと。
そして、エルンストが利用したもうひとつの技法、フロッタージュもやっぱり偶然が大事なところでしょうか。
「博物誌」の中の一枚ですけれど、トンボかカゲロウのようなものでしょうね。
でも、よく見れば、羽は木の葉でできています。
「できている」というのは正確でなくってですね、紙の下に木の葉を敷いて、上から鉛筆でこすったが正解。
エルンストは、木の葉やら木やらに紙をかぶせて、模様をこすり出し、
現れた形や模様をじぃっと眺めて、見えたものに仕上げていったといいますから、
プロセス的にはデカルコマニーとおんなじですね。
やっぱりフロッタージュも、何に見えるかは浮き上がり方次第で、
浮き上がり方もこすり方次第。力の入れ具合とかも含めて。
ということは、偶然に支配されているといいましょうか、なんと申しましょうか。
「偶然」こそ、自分の表面的な考えやら思いこみから解き放たれた「自分でも気付かない自分」の表現。
シュルレアリスト マックス・エルンストがたどりついたところだったのかもしれません。