この間、NHKの迷宮美術館を見て、ポール・デルヴォーを探究しようと思ったのですね。

デルヴォーはベルギーの画家でして、ブリュッセルからブリュージュを通って、

さらに先のオーステンデの近郊にデルヴォー美術館があるので、

昨夏ベルギー、オランダに旅したときには「出向いてみようかな」とおも思っていたのでした。


結果的にはオランダ方向へと向かう旅でしたので、よくばりは禁物と次回送りにしたのでしたが、

ブリュッセルの王立美術館 では、しっかりポール・デルヴォーに向き合ってきました。

それが、この作品「ピグマリオン」(1939年)です。


ポール・デルヴォー「ピグマリオン」

デルヴォー作品としては、これはまだ向き合っても気恥ずかしさは序の口でしょうか。

ご存じのように、デルヴォーといえば裸の女性がたくさん出てきますので…。


しかも、特徴といえば、その女性たちが押し並べて無表情であること。

絵に向き合って、こちらを見つめられているかのような気がしてくる作品が多くありますが、

見つめあうことで、絵の中の人物と鑑賞者の間に何かしらの対話が生まれるわけです、一般的には。


ところが、デルヴォー作品の女性たちは無表情であるが故に、

しかも裸体であるのに、こちら(鑑賞者)が一方的に見つめているような感覚にもとらわれて、

気恥ずかしさが生じてしまうわけなのですよ。


ただ、そんな気恥かしさが先立つ作品を引用するのも、また気恥ずかしいですから、

月明かりのデルヴォーの真骨頂と思しき一枚といえば、これでしょうか。


ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」

それでも、やっぱり気恥かしい…

とはいえ、ここにはデルヴォーの特徴がギュッと詰め込まれています。

ギリシャ風の建物、骸骨、裸の女性、そして月明かり。

足りないものは、路面電車くらいなものでしょうか。


ポール・デルヴォーも初期には、普通の?絵を描いていましたのですけれど、

そこに、大ショックを与えたのが、ジョルジョ・デ・キリコ であり、ルネ・マグリットだったと言います。

つまらないほど普通の絵を描いていたデルヴォーが、

「そっか、目に見えるものでなくって、頭の中に見えるものを書けばいいんじゃん!」

と思った瞬間でありましょう。

この辺りから、デルヴォーはシュルレアリスムの画家と目されるわけですが、

どうやらシュルレアリスムの運動とは一線を画していたようであります。


キリコ、マグリットの他に、デルヴォーに多大な影響を与えた存在として、

母親が挙げられるということは、迷宮美術館でも紹介されていました。

良家の坊ちゃんだったデルヴォーには、将来の期待がかかっていたようなのですけれど、

どうも学校の成績が思わしくなかったようで、

父親にとっては期待が大きかった分、落胆も大きかった様子。

これをかばったのが母親だったそうですが、ただ、かばい方の度が過ぎたのか、

デルヴォーはすっかりマザ・コンになってしまうわけです。

庇護者であると同時に、大きな権力を振りかざす圧政者でもあったと。


「女性は男をたらしこむ悪魔」くらいの刷り込みを図った結果、

デルヴォーの深層心理というか夢の世界(いわゆる頭の中で見えるものですね)というかには、

裸の女性がたくさん出てくるようになってしまったのではないかというわけです。

時に巨大に描かれた女性は母親の姿とも言われているようですし。いやはやですね。


ということで、あんまり裸婦像を引用すると、またしても痛い目 にあってはいけませんから、

デルヴォーのもう一つの側面、電車好き(といっても、これも母との思い出につながってるそうですが)に

関連した作品「夜汽車」(1957年)です。


Chain reaction of curiosity

これはこれで、いかにもシュルレアリスム的な、「ああ、頭の中の風景なんだな」というもの。

それだけに、どうぞ解釈はご随意に…ということでしょうか。