シャガールが「ダフニスとクロエ」 の挿絵を制作したことと同様に、
ボナールもこれに着想を得た作品を残していると知って、ボナール探究をしてみました。
結局、ボナールの「ダフニスとクロエ」の画像を見ることはできませんでしたが・・・。
もともとボナールのことは、よく知らないのでした。
外国の画家や作曲家、そして小説家など、ファミリー・ネームだけで呼ぶことが多いですけれど、
だいたいファースト・ネームも知っていたりするわけです。
例えば、ピカソはパブロだし、ブルックナーはアントン、カミュはアルベールという具合。
ところが、ボナールは… フル・ネームが、ピエール・ボナールだと初めて知ったのでありました。
んなことはともかくとして、拙い知識では、ボナールは「ナビ派」の画家とされているということになります。
言ってみれば、ポール・ゴーギャン の後継ぎのような人たちでしょうかね。
ただ、ちょっと地味な人たちかも。
そうはいっても、それぞれ自らが信じる「絵画のあり方」を実践しながら、作品を制作していたのでしょう。
ボナール自身に、このようなことばがあります。
友人たちも私自身も、印象派が試みたものをたどり、さらに発展させたいと思うようになった。私たちがめざしたのは、彼らの自然主義的な色彩を乗り越えることだった。芸術は自然の中にあるのではない。私たちは構成に関してはもっと厳格だったが、表現手段としての色彩のはたらきはいっそう強めることができると考えていた。だが、時代はどんどん先に進んでいて、私たちが目標にしていたところにたどりつく前に、世間はすでにキュビスムとシュルレアリスムを受け入れようとしていた。私たちは宙ぶらりんの状態になってしまったのだ。
なんだか「おきざりにされた悲しみは」(ちなみに吉田拓郎の歌のタイトルのもじりです)みたいな
画家たちだったんでしょうかね。
自分たちなりの試行錯誤をしているうちに、世の中(絵画をとりまく潮流)はどんどん進んでしまったという。
初期の作品は確かに、ゴーギャンっぽいタッチが見られて、「やっぱりな」と思ったりします。
それでも、印象派の試みに与しないまでも、気にならないはずはなかったですよね、きっと。
例えば、この「乗合馬車」(1895年)という作品はどうでしょう。
ちと褐色がかり過ぎてはいますけれど、素人眼には印象派ふうでもあるような。
もっとも、このぼやけ具合は印象派的なとらえ方とは違って、もっぱら「動き」を表していると言います。
その点、イタリア未来派の先駆けのようなところが見てとれるというわけです。
ちなみに、イタリア未来派の作品はこんなふう。
ジャコモ・バッラの「鎖につながれた犬のダイナミズム」(1912年)です。
すごいですよね、この犬の足の動き!
ところで、ボナールの試行錯誤(?)は、ときに親友でもあったマティスふうにもなったりします。
この「オーデコロン」(1908年)を見て、マティスの「画室の裸婦」(1899年) を思いだしたわけなのですね。
もちろん、マティスのような、まさにフォーヴと言われる大胆さではありませんけれど、
ボナールなりの咀嚼かなとも。
そして、左下のたらいを見るにつけ、も一つ思い出すのはドガとの関わりです。
ボナールは他にも明らかにドガを意識したと思しき体を洗う裸婦像を描いたりもしていて、
相当に私淑していたようなのです。
という具合で、単純に「ボナールはナビ派だけんね」と片付けていたら思いもよらなかったところですが、
全くの予想外に、ボナールの絵は「好きかも・・・」と思ってしまいました。
画像は紹介できないのですけれど、
スウェーデン・バレエ団(バレエ・スエドワ)がドビュッシーの「遊戯」を舞台にかける際、
その装飾を担当したボナールの作品が残されているのですけれど、
この印象派ふうの淡さはなかなか食い込んできちゃうものなのですよ。


