ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」を聴いて いて、
ショスタコーヴィチを想像させるというようなことを書きましたけれど、
実際聴きながら想像を逞しくすると、
思い浮かんだのはショスタコーヴィチの交響曲第5番ばかりでなくって、
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」、そしてミュージカル映画の「メリー・ポピンズ」なのでした。
(さすがに「メリー・ポピンズ」というのは、意表をついているかもしれませんが、このことはまた後日)
ということで、早速「ダフニスとクロエ」をと思ったわけですね。
手元にあったのがデュトワ盤でしたので、
第2組曲が収録されているのですけれど、
これの最初の曲「夜明け」」の出だしは、
フルートのアルペジオに乗って、低減が静かに湧き上がって行くところは、まさに日の出のイメージ。
大地の一日の始まりを告げる雄大な音楽で、
いつ聴いてもゾクゾクさせられます。
が、こういう曲がついているものの、
そもそも「ダフニスとクロエ」とはどんな話なんだろうかと思ったわけです。
古代ギリシャの時代に、ロンゴスという人が書いたと言われている恋愛譚だということですけれど、
さっそく読んでみるかと思った次第。
そして、どうせであれば、去年上野の森美術館のシャガール展 で見た挿絵が入った本が良いなと思ったのでした。
パリ・オペラ座でのラヴェル作曲のバレエ「ダフニスとクロエ」の上演
(初演時ではないですけれど)
にあたっては舞台美術と衣装を担当しているシャガールですから、
ダフニスとクロエとの純愛には、自身と愛妻の関係を重ね合わせていたのかもしれませんね。
ところで、読み始めた「序」の部分で、「へえぇ」って思いましたのは、
この物語というのは、そもそも「わたし(語り手=作者ですかね)」が
ニンフの森に狩りに出かけたときに目にした、世にも美しい絵から想を得たものだといういうのです。
もともとは、絵だったのかあ・・・
って、その部分からして創作かも?ですけどね。
でもって、お話はと言いますと、
山羊飼いに見つけられ、ダフニスと名付けられた捨て子の男の子。
羊飼いに見つけられ、クロエと名付けられた捨て子の女の子。
十数年を経て、眉目秀麗な山羊飼いとなったダフニスは、
可憐な乙女の羊飼いとなったクロエといつも一緒に、牧草地で出会います。
お互いにだんだんと意識するでもなく、「この苦しい気持ちはどうしたことか?」と思うようになっていきます。
このあたり、いくら古代ギリシャったって、純朴に過ぎはしませんか…と思ったりします。
あるとき、フィレータースという長老に、ダフニスがこのもどかしい気持ちを打ち明けますと、
長老はこんなことを教えるのですね。
つまりは接吻したり抱きあったり、着物を脱いで一緒にねる以外には、恋にきく薬はないということだ。飲み薬にせよ、ほかの薬にせよ、またまじないの呪文でもだめなのだな。
まあずいぶんと、直接的な行動に結びつくご意見ではありませんか。
どうしていいか分からないダフニスとしては、試してみるしかありません。
ファースト・ステップもセカンド・ステップもクリアしたものの、最後のステップの要領がわかりません。
でも、それをちゃあんと手ほどきしてくれる人も出てくるわけです。
とにかく、昔ばなしは「おおらかだな」というところでしょうか。
こうした初々しい恋の物語には、海賊の襲来(ダフニスがさらわれ、クロエが気をもむ)や隣国との戦争、クロエに片思いする牛飼いによる拉致(クロエがさらわれ、ダフニスが気をもむ)など活劇要素もふんだんで、最後にそれぞれの出自が明らかにされて迎えるハッピー・エンドまで、
単純ですが作りこまれたお話なのですね。
なんだか読んでしまうと身もふたもないような気もしますけれど、
挿絵で描く連作としてみたり、バレエで見たりすると、また違った味わいがあるのでしょう、きっと。
それでは、最後にシャガールによる挿絵の最終場面を。
そうそう、フィレータース老に教わった最後のステップは、最後の最後で成就するのでありました。


