手に取ったフランソワーズ・サガンの文庫本
の表紙に、
1枚の絵がありました。
かっちりした輪郭と線の多さから、ベルナール・ビュフェの作品であることはすぐに分かります。
実際、カバー裏には1965年作の「パンとワイン」であるという
記載がありました。
1928年生まれのベルナール・ビュフェ。(生誕80年!)
1935年生まれのフランソワーズ・サガン。
ビュフェの方がいささか先輩になりますけれど、
言わば同世代の二人。
サガンの小説の装丁にビュフェが使われたというのは、
そういう同時代性だったのかな?とも思うところではありますが、
巧く小説の雰囲気を醸す絵を選んだ担当者のワザと言えなくもありません。
しかしながら、少々探究してみると、ビュフェとサガンには確かに交流があり、
サガン原案のバレエ「失われたランデヴー」の舞台・衣裳のデザインをビュフェが担当したり、彼女の療養生活を綴った日記「毒」には、挿絵とカリグラフィーを寄せたりしているようです。
また、芝居のプレミアに訪れた二人のツーショット写真も残っているのですね。
つうことは、実は二人は…などとついつい下世話なことを考えてしまうところですけれど、
ミューズであったのは、アナベルという女性でした。
アナベルはこんなことを言っています。
愛するもの同士の関係は、貴重で生き生きとしていますが、その中で最もむずかしいのが対等という関係です。習慣よりもまずいのは譲歩です。小さな意見のぶつかり合いを避け続けていたら、いずれ相手を非難することになってしまいます。私なら、あとで恨みごとを言うより、言ってしまって後悔するほうを選びます。
ビュフェとアナベル双方にとって、こうしたお互いに忌憚のない、遠慮のない関係というのは、どちらも決して幸福ではない家庭環境の下に育ち、常に孤独感と隣り合わせで育ってきた生い立ちの末に見出したパートナーであればこそだったのかも知れません。
互いを「Significant Others(重要な他者)」として、
一心同体でありながらも「個」として認めていたからこそ、
美術界の潮流は間違いなく「抽象」にある中で、
ビュフェは迷わず具象画を描き続けられたのかもしれません。
ビュフェ自身は「抽象絵画を描きたいか」という質問に対して、こんなふうに答えています。
絵画はすべて"抽象的"です。具象画は誰にでも理解できるとされていますが、鑑賞者が絵画の中にそれぞれの"美"を見い出そうとしなければ、何の意味もないのです。抽象・具象を問わず、すべての芸術が"抽象的"であるというのは、この意味においてです。
晩年、病に冒され死と向き合う中では、骸骨をモティーフに描いたりするようにもなって、
ビュフェは自らの命を絶ってしまいます。
それでも、死の年となった1999年にも、こんな作品を残しているのですね。
非常に厳しい風景が描かれていますけれど、ビュフェらしさは不変であったのではないでしょうか。
ビュフェの死に際して、アナベルが寄せた言葉があります。
ベルナールはもう誰の負担にもなりたくなかったのです。だから、あのような死を選んだのでしょう。彼自身が決めたことなので、私からは何も言うことはありません。ただ、50年間に及ぶ彼の画家としての偉業を見て欲しい。そう願うだけです。
いささか冷たく感じないでもありませんけれど、
ビュフェの様子を見て家じゅうのナイフやロープを隠したこともあったアナベルは、
最終的にビュフェがとった選択を「Significant Others」として認めようと思ったに違いありません。
ビュフェの死の6年後、アナベルは静かにこの世を去ったということです。

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