ニューヨーク、とりわけマンハッタンの歴史 をたどったりすると、
必ずと言っていいほど言及される作家が二人います。
ひとりはセオドア・ドライサーであり、もう一人がヘンリー・ジェイムズです。
いずれも作品によってはでしょうけれど、それぞれの文章からは
書かれた当時のニューヨークの様子がよく伝わってくるからということのようです。
ということで、ここでは手に取りやすいヘンリー・ジェイムズを読んでみました。
本当は、ニューヨークの雰囲気を知るという点では
「ワシントン・スクエア」を読んでみるべきでしょうけれど、
これは映画化されて、日本でも「女相続人」というタイトルで公開されたようですが、
ヒロインを演じるオリビア・デ・ハビランドの演技が見もの!という噂ですので、
映画を見ることにゆずるとして、
ここはひとつ、代表作「ねじの回転」を手にとった次第です。
解説に曰く「ニューヨーク、パリ、ロンドンの三都を等しく自分のふるさととし、
英米仏三国に足をふまえた大インターナショナル・ライター」となったヘンリー・ジェイムズですので、
この作品での舞台は、英国の片田舎にある邸宅ということになります。
集まった皆がそれぞれに、「こげな怖か話は聞いたことあるまい」と言えば、
「うんにゃあ、おらの話はそんなもんじゃあないけんね」と、
順々に怖い話をしていく「百物語」のようなお遊びを、
英国上流階級(成り上がり階級か?)がしているところで、
一人が大層勿体ぶって披露しようかな、どうしようかな…というのがプロローグ。
もちろん、そのお話の中身というのが、メイン・ストーリーです。
ですから、言ってみれば幽霊話のようなものなのですけれど、
ここでの注目は、その描写ですね。描写といっても、風景描写ではなく、心理描写の方。
全ては物語の語り手となる、若い女性の家庭教師が、
住み込みで子供の世話をしに訪れたお屋敷で起こるあれこれを綴った手記の形式をとりますが、
ともすると全てはこの人の「妄想なんでないの」とも思えるほど、客観的でないのです。
要するに、この家庭教師が「何か」を見て、
思ったこと、感じたこと、解釈したことが書かれていますから、
もしかしてその受け止め方は「ちがくない?!」と思ったりもするわけです。
これは、子供たちや召使いたちとの会話でも同様で、
何だかオブラートに包んだようなぼやけた話題の出し方で、
傍目には「会話している」ように見えながら、実は全く意思疎通が図れていないような…
「あれよ、あれ、あれなのよ~」
「私もね、あれはあれじゃないかと思ってたのよ~」みたいな!
ですから、どんどんと窮地に追い込まれる家庭教師の姿というのは、
いささか茶番チックにも見えてしまうわけなのですね。
でもって、結末が「あれ」ですから。(「あれ」が何かは書きませんけれど)
面白いと思えるか、「え?」と思ってしまうかは、ひとそれぞれかもしれないですね。
ちなみに、個人的には「一気読みでした」とだけ申し上げておきましょう。