基本的なプロットとしては「漂流記もの」とでもいいましょうか、古今東西いろいろな作品がありますね。

「ロビンソン・クルーソー」とか「十五少年」とか・・・。


とりわけ「ロビンソン・クルーソー」の場合は、例えば片方の靴が残されている描写を通じて、

その靴の持ち主であったろう人の「死」を表現するという、とっても「文学的」なことが行われているそうで、

近代リアリズム文学の起点とも言われるのだそうですよ。(実は、読んでない)

桐野夏生「東京島」
(読んでないからおそらくですけれど)これと比べて、

「東京島」(ちなみにトウキョウジマと読みます)の方は、

もっとドラマっぽい雰囲気であり、いかにも「映画にしてください」という感じです。


実際、他の漂流物の小説を思い浮かべるよりも、

むしろ映画の「スウェプト・アウェイ」とか「6デイズ/7ナイツ」なんかを

思い出してしまったわけです。


クルーザーを駆って世界一周に出たのもつかの間、出航してほどなく難破してしまった夫婦もの。

南の島でのアルバイトがあまりにきつく脱走を図るも、あえなく漂流の憂き目にあった若者たち。

そして、日本への密航の途中に打ち捨てられてしまった中国人の一行。


これらのグループがつかず離れず、仲間外れを造ったり、嫌われ者が連合したり…

島でたったひとりの女性(夫婦ものの奥さんが島唯一の女性)をめぐっての確執もあれば、

他を思いやる意識と他を出し抜こうとする意識の混在も見られ…


確かに文明から切り離された世界でのサバイバルを描きながら、

どうもそこで展開する人間模様、人間関係といったものは、文明社会の縮図のようでもあるわけでして、

そこいら辺が、「今この小説のある意義」みたいなものなのかもしれません。


ただ、話の終わり方は作者にとって「唯一無二の結末」だったんでしょうかね。

実に「やるせない・・・」と思ってしまったのでありました。