1898年生まれの佐伯祐三は没後80年、1886年生まれの藤田嗣治は没後40年。
同じことを職業にしても、人によって早世と長寿があるとはいうものの・・・
つまりは、それだけ長く画業に携わったレオナール・フジタ、
すなわち藤田嗣治の回顧展です。
まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、長い間には画風の変化もあるわけですよね。
1913年の渡仏後、エコール・ド・パリの画家たちを中心に
多くの交友関係を結ぶようになる藤田ですけれど、
彼らからの影響というのも大きなものだったのでしょう。
右は、「家族」と題された1917年の作品。
これなどは、誰が見てもモディリアーニの影響が…
というよりも、モディリアーニにも影響を及ぼしたアフリカン・プリミティヴの影響が、といったらいいでしょうか。
その後に、「すばらしき乳白色」とも言われる独自の世界を開拓して、おもに裸婦像と、好きな猫の絵を描いていくわけですけれど、
藤田と言えば「あとにも先にもこの雰囲気」と、
個人的には信じて疑っていなかったわけです。
例えば、この「仰臥裸婦」(1931年)などが典型的な藤田の世界だと思っていました。
それは強ち誤りではないのでしょうけれど、藤田の世界はそれでは終わっていなかった。
それを改めて知った展覧会だったわけです。
では、どういう変化があったのか。
さきほどの「仰臥裸婦」の醸す柔らかさとは対極にある、逞しい肉体の世界なんですね。
「人間の身体って、こんなに筋肉、付いてるの?」という点では、ケンシロウばり。
秘めたる感情が肉体に具現化すると、こういうのもありなのでしょう、リアリティはともかくとして。
それでも、ここではまだ「乳白色」と「線描」が支配しているのですけれど、
その後の藤田の世界は、実に色彩豊かなものとなっていきます。
個人的には、まさに「ええ?これが藤田嗣治なの?」という感じ。
これは、1959年の「花の洗礼」という作品です。
この色彩に溢れた世界は、知らない藤田でした。
晩年の藤田は、エソンヌの片田舎にアトリエを構えて、宗教画の制作に打ち込んでいきます。
そして、自らが設計などのすべてに携わった「シャペル・フジタ」(平和の聖母礼拝堂・ランス)の完成に情熱を注いでいきます。
キリスト教の洗礼も受け、
レオナール・フジタとなった藤田嗣治のたどり着いたところは宗教画。
フランス人になりきるための到達点と思えば、さもありなむかもしれません。
ただ、題材は宗教画であっても、1960年代になって定着していく「ポップ・アート」、
取り分けグラフィカルなものに通底するものを感じてしまうのですね。
何かこう、SF的な要素も含めて。
というわけで、知ってる人には「なぁんだ」でしょうけれど、
乳白色の藤田しか知らない人には、
むしろショッキングなくらい「へえ~」と思える展覧会なのでありました。



