指揮者のシャルル・ミュンシュがこんなことを言っています。
・・・当時彼は私が指揮をしていたパリ音楽院オーケストラの練習に熱心に通っていた。彼は邪魔にならないように演壇の上の方に上り、有名なティンパ二奏者パッセローネの横に座っていた。
いまでもオルガンの横に座り、顔を紙に傾けた彼の姿が思い浮かぶ。私たちが演目を稽古している間、彼はデッサンをしていた。オーケストラの見事な連作を彼が描いたのは、私たち音楽家とともに過ごしたこの時だといってよい。
先の記事 をご覧になった方は「彼」が誰であるかは想像できることでしょう。
そう、ラウル・デュフィですね。
ミュンシュの言うように、実際に楽団にへばりついて作品を描いていた様子が目に浮かぶようです。
でも、音楽にまつわるデュフィの作品には、作曲家へのオマージュもあります。
そのひとつがこれ、「ドビュッシー頌」(1952年)。
見るからに、ドビュッシーのピアノ曲が聴こえてきそう…
なのですが、ピアノ曲をたくさん聴く方ではないものですから、
ましてや(?)ドビュッシーともなると、「たぶん聴いたことはあるけれど」というくらい。
こうなったら、やっぱり試してみるしかありませんね。
そこで、取りい出したるは、「前奏曲集第1巻・第2巻」全24曲です。ピアノは若き日のミシェル・ベロフ。
怪我による(?)隠遁から復帰した後に再録してますけれど、
とりあえず、これ。
今まではほんとに聴き流しっぱなしだったのだなということが
よくわかるわけでして、ほとんど初めてか?!という印象。
でも、聴こうという姿勢がある時には自ずと耳に入ってくるのか、
それともようやくドビュッシーの音楽について行けるようになったのか。
まあ、それはともかく、驚きをもって音楽に接しました。
自在な、なんと自在なピアノなんでしょう!
まるでインプロヴィゼーションのようではありませんか!
個性的な(といっても、古典的でないということですが)和音が醸す独特の響きは、
ドビュッシーが通った頃の音楽院では禁じ手だったようです。
和音進行は相性によって推進力を増し、きちんと解決(完結)させなければならない!
といった音楽のアカデミズムがあったのでしょう。
「印象派」を揶揄した美術のアカデミズムと同じようなことですね。
響きの妙、リズムの妙、メロディの妙…
ドビュッシーはショパン を敬愛しつつも対抗意識があって、「24の前奏曲」を作ったようですけれど、
「これはこれ、あれはあれ」ではないかと。
ということで、先のデュフィの絵を眺めるにあたって流れてくるメロディはと考えたときに、
超有名な「亜麻色の髪の乙女」…でもいいんですけれど、
ここでは、「亜麻色の髪の乙女」にも似たメロディがやさしく流れる
「ヒースの荒野」(第2巻第5曲)にしようかなあ。
でも、デュフィの絵を見ていると、サティも似合うかなあと思ったりしているのでした。
