美術史家や美学者のほとんどは、出口のない考察に迷い込んで、美術そのものとはかけ離れたところにいる。
画家ラウル・デュフィはこう語ったのと言われています。
1877年生まれのデュフィは、ヴラマンクやキース・ヴァン・ドンゲンと同世代。
印象派の画家たちやマティスなどは少し前の世代、
ピカソやエコール・ド・パリの画家たちはもう少し後の世代というわけで、
こう言ってはなんですが、
端境期で埋もれがちなところに位置しているような気もするわけです。
印象派の画家たちがアカデミズムに波紋を投じて以降、
その後の画家たちは、どんどん急速に新たな画法や思想のもとに制作を続けていきましたが、
その渦中にあって、冒頭に引用した自身の言葉から察せられるとおり、
デュフィは「美術がなんだかわからないものになっとりゃせんかね?」と
言っているわけです。
そして、自分は「わかりやすさ」を実践することに自負を抱いていたようなのですね。
これは、初めてデュフィをブリヂストン美術館で見たときの作品
「オーケストラ」(1942年)です。
明るい色遣いで、かちっとしていない掃いたようなタッチからは
音楽の躍動が伝わってくるよう。
誰が見ても、タイトルどおりに「オーケストラ」の絵ですし、
まさしく分かりやすいですね。
ただ、明るく楽しくわかりやすいとなると、
どうも「芸術としては、大したことはないんでないの?」などと
難解なものに眉根を寄せることこそが芸術鑑賞と
思ってしまいがちな自分に気づいたりするわけです。
実際、デュフィは印象派をなぞり、フォーヴィスムに共感して、画風を確立するのですが、
たどりついたところの、鮮やかな色彩とわかりやすさがむしろ軽んじられたのでしょうか、
当時の画家としては、いろんなことをやって生計を立てざるをえないのでした。
タペストリーの下絵や挿絵、ポスター制作のようなもの…
こうなるとますます「いっぱしの画家として立ってない」ことを
また軽んじられたりしてしまう。
しかし、それだけで終らない画家にはちゃあんと転機が訪れるわけなのですね。
1937年のパリ万博。
ここで、「光の館」なるパヴィリオンに、
人類には不可欠となった「電気」の歴史を壁画化するという依頼がデュフィに舞いこみます。
何と、高さ10m、幅60mの大壁画!「電気の精」です。
この辺のことは、このあいだTV「美の巨人たち」 で紹介されていましたから、
ご覧になった方も多いことでしょう。
同じパリ万博では、ピカソの「ゲルニカ」も出品されていたのですけれど、
この後世に大きな名を残す名作は、人々にとまどいもたらすばかりで、
絵の前には人陰まばら…。
一方、デュフィの「電気の精」は、大勢の人たちが食い入るように眺めていったと言います。
「電気の精」でも電気の歴史にまつわる様々な人物像が描かれていて、
それだけでも見る人には楽しいものであったことでしょう。
そして、デュフィのわかりやすさというのは、
他の絵を見てみると題材にも表れているようです。
北フランス、ル・アーヴルの港町出身なので、船や港、海岸風景の絵。
父親がル・アーヴルの聖堂オルガニストだったこともあって、音楽にまつわる絵。
そして、自身の色彩が活きる「花」のある室内画があります。
19世紀半ば以降、絵画の世界で一気に広がった斬新な手法の追究は、
絵を見て楽しむ普通の人々を置き去りにしてしまったかもしれません。
美術館に並ぶ数多の近現代絵画に腕組みしながら見入りつつも、
ふとデュフィにめぐりあったら、ほっとひといきついて、その色彩を堪能したいところです。
「何を表しているのだろう?」などと考えることもなく、
一枚の「絵」として見たいものです。


