言うまでもなく、ジャクソン・ポロックはポーリング(ドリッピングとも)の技法で有名ですけれど、
この間の「20世紀絵画」展 で印象的だったものですから、この機会にポロック探究です。
1912年、男ばかり5人兄弟の末っ子に生まれたポロックは、
母親の影響があったらしく兄ともどもに芸術への志向があったようなのですね。
ニューヨークで美術の勉強を始めた長兄が送ってくる美術雑誌などで、
時に10歳のポロックは、ピカソやマティスの図版に夢中になっていたと言います。
その頃の美術界には、斬新な絵画の潮流が満ち溢れていたでしょうから。
後に18歳のとき、ニューヨークに出て、兄が学んだ教室で勉強を始めるのですが、
当然最初からポーリングがあるわけでもなく、師のトーマス・ハート・ベントンにならって
アメリカ西部・南部の風景を描いたりしていました。
例えば、この「西部へ」(1934-35年頃)のような、陰影の濃い作品だったようです。
その後、幼い頃から夢中になっていた、時代の先頭を走る画家たちに触発されながら、
具象画から抽象画へと転じていきますが、
そうした中からポーリングの技法にたどりついていったようすは、
過渡期的な作品から見てとれそうなのですね。
1943年の「水鳥」や、「ポーリングのあるコンポジションⅡ」はまさにそんな作品。
そうして訪れるポーリング全開の時代。
これは、千葉県佐倉市の川村記念美術館 にある「緑、黒、黄褐色のコンポジション」(1951年)です。
ともすると、漫然と見て流してしまうところかなとも思うのですね。
(画像が小さいので、ポーリングがごちゃごちゃして分かりにくくなっちゃってるのが難点)
ただ、こうして画家の変遷をたどってくると、自ずと見方も変わってくるような気がしてきます。
私の絵はイーゼルから生まれてくるのではない。
私は私の絵のなかにいるとき自分が何をしているか意識しない。
私は絵の具の流れを制御することができる。偶然は存在しない。
このようなポロック語録を拾ってみても、なんだか分かったような気がしてしまうわけですね。
そして、ポロック自身の言葉をもう一つ。
私は音楽を楽しむように抽象絵画を楽しむべきだと思う。観ているうちに好きになったり、嫌いになったりする。それほど深刻に考えずに。例えば好きな花もあれば、嫌いな花もあるというふうに。こうしてきっかけができるでしょう。
ご本人もこう言っているのですから、
肩肘はらずにポロックの滴のあとを眺めてみることにしましょう。
あれこれ考えなければ、むしろ絵の醸すパワフルさがひしっと受け止められるような気がするのですね。
ここで画像は紹介できませんけれど、
米国バッファローにあるオルブライト・ノックス・アート・ギャラリーの「収斂」(1952年)などは
ポロックらしくもなく多彩な(?)色遣いで全面にポーリングされた一枚で、言葉を失う…
というより、ひとそれぞれの言葉で語れば言いわけなのですよね。


