グスタフ・マイリンク「ナペルス枢機卿」 ちょっと思い立って読んでみたグスタフ・マイリンクは

代表作「ゴーレム」ではなくて、

国書刊行会の「バベルの図書館」シリーズからの一冊。

「J・H・オーベライト、時間-蛭を訪ねる」「ナペルス枢機卿」「月の四兄弟」という短編3編を納めたものなのでした。


マイリンクは、同じ国書刊行会発行の「世界幻想文学大系」に1冊を構える作家なだけに、幻想作家といった肩書が似合うところなのかもしれないですね。

本書の3作もそれぞれに、ファンタジーというよりは妖しい世界を呈しているのでありました。


おそらくは、本書のタイトルともなっている「ナペルス枢機卿」が、

中では一番有名どころなのかもしれないですけれど、

個人的には「J・H・オーベライト、時間-蛭を訪ねる」が気になるものを提示してくれたように思われます。

私たちが人生と称しているもの、あれは、死の待合室なのです。突然私は-そのとき-了解したのです。時間とは何かを。私たちは時間で出来た構成物なのであり、肉体とは、物質であるようにみえて、流れ去っていった時間以外のなにものでもないのです。

語り手の「私」は、祖父の残した不思議な墓碑銘や手記を通じて、

ヨーハン・ヘルマン・オーベライトという老人と知りあうことになります。

そこでの昔がたりを通じて、「私」が知るに至ったところが先の引用部分なのですね。


早い話が、人は生まれた途端から、少しずつ死んでいく。

生者の世界と表裏一体に死者の世界があって、

(生きている者のいる此岸の向こうに、死んだら行くであろう彼岸があるということではないのです)

それらは同時に存在し、生者の世界にも死者の世界にも同時に「自分」がいるというわけです。

生者の世界での「自分」が少しずつ死んでいくということは、

死者の世界での「自分」が少しずつたくましく(?)なっていくと言ったらいいでしょうか。

死者の世界の「自分」が元気一杯だとすると、生者の世界の「自分」は例えば病気だったり…


なんだかわかったような気がしてしまいませんか。

およそ科学的な世界感とは思われないような気がしないでもないですけれど、

リサ・ランドール博士の「異次元は存在する」 といった説に接すると、

科学的でない…というのでなくって、むしろSF的な、

というより、もしかしたら「あるのかも…」と思ってもしまったりするのでありました。


同じ短編を読んでいてもうひとつ、はたと気がついたのは、

歴史(つまりは時間の流れですが)を、一本の木の生長に例えるならば、

一人ひとりの人の一生は、春に芽生えた若葉が秋には枯葉となって散っていく。

ひとつひとつの葉は同じ葉っぱでありながら、微妙に形状や色合いが異なるわけで、

これが人の個性みたいなものなのでしょうけれど、

たくさん茂っては散っていくそういう葉っぱのようなものかなと。


決して人生を悲観しているわけでも何でもないですが、

そんなふうなことも考えたという、まあある種、刺激に富んだ短編であったというわけなのです。