やたら政治の世界で二代目、三代目が大流行りですけれど、
伝統的に子が親の職業を継ぐ世界はあれこれありますね。
取り分け「芸」の世界などは、その最右翼なのでしょう。歌舞伎などにみられるように。
このことは、落語の世界でも言えるようなのですね。
こんなことを言い出すのも、桂小米朝改メ五代目桂米團治襲名披露公演を先日見てきたからなわけです。
上方落語界としては、なかなかの大名跡でしょうから、
その襲名披露にはそれなりの面々が口上を仰せつかっていたようで、父親の米朝本人をはじめ、桂ざこば、笑福亭鶴瓶、関東からは友人代表?で柳家花録などが次々と口上に託けた暴露話を披露していきました。
会場ごとに登場する人たちが違いますから、
それぞれに山ほど小米朝時代の失敗談が日の目を見たことでしょう。
そうはいっても、襲名披露の席ですから、まあ温かみのある言葉でもあるわけでして、
そこから感じるのは、やはりサラブレッドの扱いといいましょうか。
なにしろ、人間国宝・桂米朝の息子なのですから。
しかしながら、米朝には3人の息子がいるのですけれど、
元々はその3人とも落語家になる、落語家を継ぐという考えはなかったようなのですね。
そこで、案じたのは年長の弟子たちだったようです。
師匠に息子が3人もいたら、せめてそのうちの一人でも後を継いで、
一門を率いてほしいという願いからでしょうかね。
目をつけられたのが長男。
本人にその気はなかったのに、ざこばと枝雀に説き伏せられて(?)、落語の道を歩み出した。
これが、この小米朝すなわち五代目米團治だということです。
今回の公演では、桂ちょうばの「時うどん」(「時そば」でない?!)に始まり、
桂吉弥の「ちりとてちん」、ざこばの「肝つぶし」、鶴瓶の母親とのバトルロイヤル話に続いて、
主役の米團治が登場したわけですが、さきほどのような経緯を耳にしてしまうと、
「親子茶屋」の話を聞いていても、もしかしたら「割り切れていないのかな」とも思えてきたのでした。
もちろん、大学在学中に改めて「入門」するにあたっては大いに迷い悩んだでしょうけれど、
その後はおそらく「落語をこの道」と決めて取り組んできたものとは思います。
それが、いざ五代目米團治襲名という大事に至って、
これまでの思いが複雑に去来しているのでは…との想像はできてしまうわけです。
ご本人には全くそんな迷いも惑いももはや無い!のかもしれないですが、
ずいぶんと前に「コビー」の愛称(小米朝でしたから)で、
NHK-TVの「ドイツ語講座」に出ていた頃の活き活き感とは違った雰囲気からは
(歳を重ねておちついたとも言えるのかもしれませんが)
ついついそんな想像をしてしまったのでありました。
とかく「親の七光り」などと言われる二代目、三代目ですけれど、
安直に親の道をなぞるように見られる節もあり(実際そういうケースもありましょう)、
その実、大きなしがらみとしてまとわりついてくることもありということなのでしょうかね。
