大学の法学部に入ってしまってから、

「もしかして文学部の方が毎日勉強するには楽しかったかも…その方があっていたのかも・・・」

と思ったことがありました。


その後の社会人生活では、「あ、やっぱり法学部卒?!」などと言われる場面もありましたけれど、

今に至ってブログを書いているあたりは、「どうだかなぁ」という気もするわけです。


新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む―「父殺し」の深層 (NHKシリーズ NHKカルチャーアワー・文学の世界)/亀山 郁夫 そんなことを思ったのも、

たまたま立ち寄って書店でNHKのテキストコーナーに

亀山郁夫先生 の「新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む」

というカルチャーアワーなる番組のテキストを見つけたからです。


思わず買って帰ってしまってから、

カルチャーアワーがAMラジオ放送の番組だと気が付いて、

「はて、家にAMラジオがあったかな?」と思ったような次第。

文字通りの衝動買いというやつですね。


幸いラジオを見つけたものの、

10月初めからの放送開始でしたので、第2回から聴くことになってしまいましたけれど、

これはなかなかに興味深いものなわけです。


かなり昔に読んだ「カラマーゾフの兄弟」は、

とてつもなくとっつきにくかったけれど、

「面白かったよな」という記憶だけが残っているのですけれど、

このカルチャーアワーで読み解いてくれると、「なるほどねえ」と思うのですね。


亀山先生は、ドストエフスキーの文学、そして「カラマーゾフの兄弟」のことを

「父殺しの文学」と言っておられますが、その「父殺し」なるものがどこから出てきたものなのか。

その出自を語ってくれたのが、この第2回目でありました。


シラーの戯曲「群盗」という作品。

ドストエフスキーが(亀山先生の新約文庫がないとしても)いまだに読まれているのに対して、

シラーの「群盗」は原作に触れた人がどれほどいるのだろうという作品。

せいぜいヴェルディのオペラで接する方がまだ機会があるかも・・・とは亀山先生も言っておられます。


その中で、「神が決して許すことのない罪は何か」との問いに対して、

神父が答えて曰く「ひとつに父殺し、ひとつに兄弟殺し」と。

問うた本人が父親を幽閉し、兄を排除するという、

実質的に世の中から父も兄も抹殺した人物なのですけれど、

ここの登場人物をカラマーゾフの父子、兄弟に擬えているだけでなく、

父親フョードルにセリフで語らせているというつながりよう。


実際、父殺しの物語であるだけでなく、伏線的にカインとアベルの物語を置くような作りだったのか

と解説されてみれば、興味100倍にも思えてくるのですね。


もしも、大学で文学部にいたら、こうした授業を受け、あれこれ考え、

そしてこのようなブログでない、今少しは高尚な論文を書いていたのかもしれませんねえ。

ま、想像ですけどね。

ともかく、12月までのしばらくの間、週に一度だけ「なったつもりの文学部生」とまいりましょうか。