フランシスコ・デ・ゴヤに関わる映画を見てきました。
タイトルは「宮廷画家ゴヤは見た」というもの。
まったく言うまでもなく、誰でも思い浮かべるでしょうけれど、「家政婦は見た」みたいですよね。
原題は「Goya's ghosts」ですから、なんだってこんなタイトルに…と思ったのでした。
(この記事は、ストーリーに触れる部分がありますので、ご注意を!)
ところが、これが「言い得て妙」というのか、まさにゴヤが見た物語だったのですね。
つまり、ゴヤが主役というよりは、上の写真で背景の肖像画になっているロレンソ神父が主人公。
演じているハビエル・バルデム本人より、少々良い男に描けちゃっている肖像画ですけど・・・。
コーエン兄弟の「ノー・カントリー」 での怪演が印象に残るバルデムですが、
ここでも彼ならではの圧倒的な存在感で、強烈な個性を放つロレンソを演じています。
最初は神父役ということもあって、大人しめの滑り出しながら、
自らが言い出した異端審問強化の犠牲になったイネス(ナタリー・ポートマン)の家族に拷問され、
本来異端審問の拠り所たる「偽りがなければ、どんな痛みにも神が手を差し伸べてくれる」
こと自体が偽りではないかと身を持って知ってしまった後は、まさか!の変節ぶりを見せてくれるわけです。
遠藤周作の「沈黙」ではありませんけれど、
「神の加護」に疑念を抱いてしまったが故の「何かよってたつべきもの」を求める気持ちが、
尖鋭化しすぎたフランス革命への共鳴という極端な形となったのでありましょうね。
本来、教会自体が「神の加護」を試すようなことをシステム化するのが、誤りだと思うわけでが。
もうひとりの重要な登場人物がイネス。
これを演じるナタリー・ポートマンを、監督のミロス・フォアマンは知らなかったと言います。
出演作を重ねて、もはやただの美人で若くてという俳優ではなくなってきているでしょうに、
不思議なものです。
たまたま、何かの雑誌の表紙を飾ったナタリーの写真を見て、
ゴヤ作品の「ボルドーのミルク売り娘」にそっくりだったと
フォアマン監督が思ったところから起用されたというのですね。
これが、ゴヤの「ボルドーのミルク売り娘」(1825-1827年頃)ですけれど、どうでしょう?
似てる、似てないはインスピレーションの問題なのでしょう。
少なくとも、ミロス・フォアマンにとっては、この絵が映画を完成に導く欠くべからざるピースだったわけです。
実際のゴヤがこの絵を描いたのは、ナポレオン軍の敗走による王政復古で終る映画のストーリーよりも後。
良きにつけ悪しきにつけ「自由と平等」を振りかざしたフランスの風が去ったあと、
反動的に旧に復したスペインを去ってボルドーに住みついた最晩年の作品ということになります。
成功が約束された宮廷画家という地位も名誉も失いはしたものの、
最終的には「自由に描く」ことに心の安寧を得て、
このような穏やかな表情を描いたのではないかなと思うのでありました。
映画の後日譚ということではありますけれど。

