このあいだお邪魔させていただいたブログの中で、
映画とクラシック音楽のことに触れておられたところからフィリップ・グラスを思い出したのですね。
映画の中にクラシック音楽を使うといった場合、
古典的なメロディを使うということとイコールだとも思われますので、
現代の作曲家であるフィリップ・グラスの音楽が付いているからと言って、
クラシック音楽を使っているとは言わないのでしょうけれど・・・。
ともかく、そのグラスが映画のために書いた音楽のひとつに
「めぐりあう時間たち」があります。
改めてサントラCDを聴いてみましたけれど、
さざなみ立つ水面、ときにささくれだったかのような・・・音の並びがぐおっと映画そのものを見ようという気を引き出してくれたものですから、こうなるとDVDをひっぱり出してということに。
それにしても、オリジナルのタイトル「The Hours」を「めぐりあう時間たち」と訳した方には感服しますね!
ヴァージニア(ニコール・キッドマン)の過ごした「時」、
ローラ(ジュリアン・ムーア)の過ごした「時」、
クラリサ(メリル・ストリープ)の過ごした「時」、
これらが重なりあって、ひとつの物語を紡ぐ。
そうしたときに、「めぐりあう」ものを人ではない「時間」だという・・・素敵なタイトルです。
そして、「時」、「時間」には「流れる」という言葉が使われるように、
この作品の中では、同様に「水の流れ」も重要ですよね。
そも、石清水が湧き出すように、ヴァージニアが記すことによって始まる「ダロウェイ夫人」の物語。
これを上流とすれば、「ダロウェイ夫人」を愛読するローラは流れの中流で、
一見穏やかにたゆたうように見えながら、実はみなもにさざ波が立っている。
(この辺り、グラスの曲がぴたりとはまります!)
そして、もはや海も間近の下流域では、海のおおらかさがもはや川ではないと告げていながら、
これまでの流れに決して無縁ではない。そんなところにクラリサはいます。
何しろ、友人のリチャード(エド・ハリス)から、
クラリサは「マダム・ダロウェイ」と呼ばれているのですから・・・。
これまで映画の話をするときに、
とかくストーリーが分かる、分からないで語ってきたところもありますが、
例えば小説にストーリー・テリングは少々脇へ置いておくにしても、
情感で、余韻で読ませるものがあるわけでして、
映画もそういうものが当然あっていいわけです。
「めぐりあう時間たち」。
フィリップ・グラスの音楽も相俟って、そんな情感でこそ楽しむ映画ではないでしょうか。
