前にも、「受験の選択科目は世界史だったし…」とは書いたかもしれないのですけれど、

つくづく授業では顧みられずおいてけぼりにされている歴史ってあるなあと思ったのですね。

広い世界ですから、やむを得ない。当たり前といえば当たり前ですよね。


しばらく前からギリシャのことやら、東ローマ帝国のことやらを読んでいましたが、

この辺の話では、当然のようにバルカン半島あたりのことが歴史の舞台になってくるのに、

あんまり「像」を結んでこないものですか

ら、ここはひとつバルカン通史を探ってみるかと思ったわけです。

図説 バルカンの歴史 〔改訂新版〕 (ふくろうの本)/柴 宜弘
とはいっても、
あんまり重い(質・量ともに)ものは

くたびれてしまいますから、取り出したのは、

河出書房新社刊の「ふくろうの本」シリーズの一冊です。

「ふくろうの本」というとっつきやすそうな名前ながら、

実はしっかりと書きこんであって、読み終えて「ふう~」。

果たしてどれだけ蓄積されたかは「?」なのでした。


それだけ知らないことが多かったというわけですけれど、

そもそも「バルカン」という言葉がトルコ語に由来するとは

全く知りませんでした。

「樹木におおわれた山」という意味なのだそうです。

オスマン・トルコに支配されていた時期があるにしても、意外な気がしたのですね。


歴史的には、古代ギリシャ→ローマ帝国→東ローマ帝国→オスマン・トルコと

エリアの主(あるじ)が変わりはするものの、そのまま20世紀を迎え、

やおら「バルカンの火薬庫」として注目を浴びる・・・

その程度の認識しかなかったわけですが、

7世紀末から10世紀にかけては半島のほとんどを支配したブルガリア帝国があって、

やや小さめながらクロアチア王国もあったと言います。


一度滅んだ後、12世紀末から13世紀半ばにブルガリアは再興しますが、

その傍らには、ボスニア王国、セルビア王国がありました。


つまり、バルカン諸国、とりわけ旧ユーゴスラヴィアを構成していた諸国は

イメージとして新興国のように思われるわけですが、

実は歴史上に見え隠れはあるものの、相当に長い歴史を背負っているというのですね。


クロアチアも、ボスニアも、セルビアもかつての栄光への思いが根っこにあって、

「あの辺は、昔々はおれんちだったんだけんね」

と思っていますが、その後長くオスマン帝国の支配下にあって、

人種別の居住地の混合や移動があれこれ行われた結果、

今や住んでいるのはアルバニア人が80%以上でも、

「そこは、おれんちなんだってば」と頑張ってしまうような事態になっているんだと。

これは、コソヴォのことですが。


一方、マケドニアという国がありますけれど、ギリシャの言い分では

「マケドニアはギリシャなんだから、マケドニアという国の名を使うな」

となるようです。

なんとなくではありますが、アレクサンダー大王はマケドニアの人ですけれど、

古代ギリシャなるものに包括されちゃってる感じがありますね。


ですから、表立ってここまでは言わないのかもしれないですが、

「マケドニアって言うんなら、ギリシャの一部に入りなさい」というところかも。

でなければ、「使っちゃダメ!」と。

最初決めた国旗のデザインも「使っちゃダメ!」と言って、変えさせたんだそうです。


バルカン半島をアドリア海と黒海に挟まれた大きなエリアと捉えると、

日本の面積の2倍ほど、人口では半分だといいます。

ここに、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア、マケドニア、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロヴェニアという国がひしめいていて、

それぞれに「あの土地はおれんち」意識が残っている。

日本の半分の人口の人たちが、日本の面積の2倍の土地で仲良くやっていくすべは

あるはずですよね。


今や、リュブリアナやドゥブロヴニクなどは人気の観光地になってはいますけれど、

バルカン=火薬庫といったものでないイメージが出来上がっていくとよいのですが・・・。