さあ、二泊三日(9月13~15日)の美術館めぐりも、最後の目的地となりました。
三ノ宮の駅前から南へ10分弱。
旧居留地と言われる、異国風建築物の立ち並ぶ一角に神戸市立博物館はあります。
異国風といっても、石造のがっしりした、欧米風のということですが。
まあ、そういう言い方をすると聞こえは良いのですけれど、古さは否めないわけです。
何しろ、まだ出来たてと言っても過言ではない兵庫県立美術館の後に訪れれば、
その印象はやむを得ないところでもありましょう。
ところで、神戸市立博物館で開催中なのが、あの!「コロー」展、光と追憶の変奏曲です。
8月いっぱい東京の国立西洋美術館で長らく開催されていた、あの展覧会です。
見てなかったんですよね、これ。
何しろ混雑していると、たちどころに「絵を見よう」という気持ちすらなえてしまうので。
神戸でなら、少しは混雑具合も違うのではないかと思ったわけでして、
結果的には「当たり!」だったと思われます。
ところで、コローと言えば「銀灰色」ですね。
初期のころは、まだまだコローの個性は熟していないと思われますけれど、
1835-1840年作の「ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸」あたりで、
木々の姿にコローらしさが見えてきます。
そして、1865-70年頃の「緑の岸辺で本を読む女」になりますと、
木々と空の薄い重なりに、コローの灰色が現れてきます。
さらには、1871年の「葉むら越しに見るヴィル=ダヴレーの池」に至って、
コロー色全開の趣き。
こう言ってはなんですが、隣に展示されているモネの「木の間越しの春」(1878年)が
つまらなく見えてしまいます。
本展の目玉的な作品は、「真珠の女」(1858-68年)でしょうし、
「モルトフォンテーヌの想い出」(1864年)でしょう。
それはそれとして、コローの進化、というより深化は、
これらの作品をたどることによって、より鮮明に焼きつけられるのでありました。
戸外で制作し、自然のありのままの姿に目を向けたというだけではない、
コローが後世の画家たちに残した影響。
現実は芸術の一部であり、感情はこれを完全なものとする-カミーユ・コロー
ただ感情によってのみ、芸術における真実に到達できる-ワシリー・カンディンスキー
作品を見ただけでは微塵も関わりを認識できないにしても、
底流には脈々とコローの精神が宿っているということでしょうか。
そうした原点をも、本展は垣間見せてくれるようなのでした。
美術館めぐりの旅という点でも、なかなか掉尾を飾るに見合った展覧会でありました。



