今回の旅の最初の目的地は、
天王寺動物園のとなり、天王寺公園の中にある大阪市立美術館 です。
本来は、和ものというか、東洋ものというか、
そういう収蔵品を収めたところなのですけれど、特別展として開催中なのが、
没後80周年記念「佐伯祐三展-パリで夭折した天才画家の道」なわけです。
大阪には何度も来ていながらも、およそ観光したことがないものですから、
園内の道順に従い、美術館前にたどりついたときには「おお!」と思って、
「うぅわぁ~!まるで浪速のエッフェル塔やぁ~!!」(彦摩呂ふうに・・・)
と叫んでしまいそう(心の中で)になりました。
ちょっとした高台になっているところなので、通天閣がよく見えたわけでして、
通天閣を見るのは初めてなのでした。
実際はこの写真よりもずぅっと近く、大きく見えたのですけれどね。
それはともかく、佐伯祐三です。
ちょうど阪大の教授による講演会「佐伯祐三とその芸術」がありましたので、
しっかり聞いて理解を深め、たっぷりと作品を堪能してきたのでした。
佐伯祐三というと、どうしても「文字がいっぱいに躍っている広告を配した、パリの街角」を
思い描いてしまうのですけれど、大きく分けて4つの時期に区分けできるようです。
一番目が、美術学校時代。ようするに、修業の時代ですね。
続いて、第一次パリ時代。
初めてパリに出かけ、ヴラマンクに「この、アカデミズム!」と一喝されて、
落ち込みながらも独自の画風に向かうころ合いです。
そして、帰国時代。
病弱な佐伯の体を案じた家族が、渡仏する兄が帰国するよう佐伯を説得し、
帰国してみたものの、題材に苦慮する日々が続きます。
最後が、第2次パリ時代。
矢も楯もたまらず、再度パリに出かけて、創作意欲は旺盛ながら、
やはり体調を崩して客死してしまいます。
とまあ、生涯を4区分で捉えることができるわけですけれど、
恥ずかしながら知らなかったのは、その佐伯の生涯は30年しかなかったということ。
しかも、当然のことながら、画業に励んだ年数は30年もあるわけがありませんから、
本当に短い生涯だったわけなのですね。
日本に戻った際に題材に苦慮したのは、前にも書いたことがありますけれど、
日本における初期の洋画界にみられるように、
油絵の厚くたっぷりした雰囲気と日本情緒的なもののミスマッチに悩んだのではないかなと。
それだけに、パリに戻れたときにはよほどうれしかったのでしょう、
4ヵ月で100点もの作品を残したと言います。
しかし、それが反って体に障りもしたのではないでしょうか。
これは、「カフェ・タバ」という1927年の作品。
亡くなる前年ですね。
壁の広告ではありませんけれど、
デザイン化された文字、そしてやはりデザイン化された人々の姿は、佐伯らしいところではないかなと。
なんでもこの作品は、「なんだか佐伯っぽい絵があるぞ」と、
わりと近年掘り出されたもののようです。
そして、講演会の阪大教授曰く、まだこういう作品が眠っている可能性があるらしい…。
最晩年の怒涛の創作と病による筆の途絶え、この状況下でひっそり知られぬ場所に眠ってしまった佐伯作品がほかにもあるのかもしれません。
このような話を聞くと、パリの場末の骨董屋で
「これは、もしかして佐伯かな?」と言った作品に出会えるかも…
なんだか、そんな気がしてきてしまいますね。ロマンだなあ。
こちらは、倉敷の大原美術館所蔵の「広告(ヴェルダン)」という、
やはり1927年の作品。
こんな作品に、ほんとの偶然で出くわすことができたら、いいだろうなあ…
と思ったのでありました。
ところで、本来、和もの中心の市立美術館では、
大阪市立近代美術館設立のための準備室の所蔵品を集めた特集展示も行われていました。
モディリアーニやキスリング、ダリ、マグリットを始めとして、
現代作品や日本の洋画家作品の数々。
小さめの美術館なら、これだけでも十分楽しめるものが、
ついでに見られるという素敵なおまけでした。
が、この大阪市立近代美術館というのが、あれこれコレクションをしているのに、
ちいとも開館のめどが立っていないのだそうです。
先の講演会の講師の方は、
阪大教授になる前にこの準備室に18年(だったかな)も勤めていたと言っていましたから、
もはや構想も幻なのかも・・・
そんなことを思いつつ、大阪市立美術館を後にしたのでありました。



