*この記事には、ネタばれがあります。ご注意ください。
アフリカというところは、どうしてこう「食い物」にされてしまうんだろう。
映画「ナイロビの蜂」を見て、またぞろそんなふうに思ったのですね。
普通の(?)人間だったら、商売でも何でも、
弱みに付け込むようなことを平気でできるかというと
「そんなことはない!」はずですよね。
歴史を振り返って、大航海時代以降、帝国主義の時代に至る中で
植民地からの搾取といったことがどんなことなのかを
人類は学んでいるはずだと思うわけです。
ところが、もはやとってつけたような大義をすら掲げることなく、
密かに姑息に「食い物」にするという点での悪辣さは、
歴史上のおおっぴらさよりもずぅっと陰湿なものに思えてきます。
この映画の場合でも、さも薬品をボランティアで届けているように装いながら、
実は薬品メーカーによる生体実験だったとあっては、開いた口も塞がらないというか何というか…。
とまあ、ひとしきり熱弁を揮ったところで(?)少々視点を変えますと、
この映画の場合、どうも女と男はすれ違うようなあ…というようなことに思い至ります。
元々強烈な正義感の持ち主とおぼしきテッサ(レイチェル・ワイズ)が、
仕組まれた巨悪の謎に迫る中で突然起こる彼女の死。
この死の真相を究明すべく、英国外務省一等書記官の夫ジャスティン(レイフ・ファインズ)は行動を開始するのですが、彼の頭から離れないのは「テッサが本当に自分を愛していたのだろうか」ということ。
先に紹介したようにテッサは情熱的な正義感の持ち主ですから、
悪事に兆しをつかんだらおそらく解明せずにはおけない性格と見えるわけです。
真実に迫る情報源だと判断すれば、
それが自分に言い寄る男でもできる限りのことをして利用するようなところがある。
ジャスティンにしてみれば、テッサのそのような部分を知ってしまいますと、
そもそも自分との結婚でさえ、「手段」だったのではないかとの疑念が生じても無理からぬ話かもしれません。
スパイ小説の大御所ジョン・ル・カレの原作では、
企業巨悪の謎解きがメイン・ストーリーなのだろうと推測しますが、
映画ではアフリカの悲惨な現況が大写しになり、
また男女間の葛藤めいたことが浮かびあがりと、
個人的には着目点が散漫だったせいか、ちょっとバラっとした作りのような気がしてしまったのでありました。