ようやく「アヒルと鴨のコインロッカー」の映画を見た
こともあって、
伊坂幸太郎さんの別の著作を手にとってみました。
「死神の精度」という連作短編で、
千葉という名前を与えられた「死神」が、
人生の終焉を迎えた人たち(年齢的には無差別ですが)との
最後の一頁を刻む6編が収録されています。
理由のほどは判然としませんけれど、
ここに登場する死神というが、
人間の世界の「ミュージック」を痛く気に入っているようで、
彼ら(つまり一人ではない)の溜まり場は24時間営業のCDショップの
試聴コーナーだったりするわけです。
これに対して、「天使は図書館に現れる」てなことを文中で触れたりするわけですが、
これはメグ・ライアンとニコラス・ケイジが出演した映画「シティ・オブ・エンジェル」でのお話。
それにしても、(とりわけアメリカの)映画には、天使や神様がよく登場します。
だいたいにおいて、「今の、その生活で、キミはほんとに幸せなのかね?」と言いたいようで、
「悔い改めよ!されば、真の幸福が訪れるであろう」的な、人生の別オプションを提示するわけです。
アメリカン・ドリームの、ひとつの形かなと思ったりするのですね。
しかし、本書ではオプションも何も、
もはや8日後には不慮の死を遂げることが内定(!)している人たちに対して、
一応、死神の世界から調査部の担当者(本書の、千葉のような)が派遣され、
内定取り消しが必要かどうかを調べさせるというのが、各編に共通した仕立てです。
どうしたら、内定が取り消されるのか(つまりは、8日後の不慮の死を免れるのか)
の基準は明確ではありませんから、
内定が取り消されるか否かでハラハラするストーリーではありません。
見た目は人間と同じになって派遣されてくる「死神」が、
ドライながらもかなりトンチンカンなやり取りを内定者と繰り広げる。
会話にしても、行動にしても。
この辺が面白くもあり、冷静に見ると「人間って変なことをやってばかりだねえ」という
辛辣な人間観察になっていたりするわけです。
そうしたときに、著者が日常的に持っている感覚を登場人物に仮託することになりますから、
どうしたって著者の思いに同意できるかどうかが、より面白がれるかの分かれ目です。
「そうそう、わしもそうだと思ってるけんね、いつも」というふうに。
例えば、次のようなところでもって、もしかしたら目線が近いかもと思えたのですが、どうでしょう。
…希薄なのだな、と私は思った。人を殺した意識や実感がないのだろう。自分の置かれている状況に、真実味が持てていない。無邪気で、屈託がない、とも言えるが、愚かとも言える。「想像力が足りないんだ」
これは、渋谷でふとしたことから喧嘩になった相手をナイフで殺してきたという若者に対する、
死神の思いです。
ここでのシチュエーションは際どいものですが、冷静な若者評として「想像力が足りない」とはかなり頷ける気がしたりします。あくまで一般論ですけれどね。
まあ、こうした感覚が得られると、
また別の作品も読んでみようかなと思うところなのでありました。