ゲーテ「イタリア紀行」を旅する (集英社新書 ビジュアル版)/牧野宣彦
このあいだの「ボローニャ紀行」 に、

ゲーテの「イタリア紀行」の話が出てきたのですね。

よっぽど読んでみようかなと思ったのですけれど、

結局手にとってのはお手軽な本。

それが、この集英社新書ヴィジュアル版「ゲーテ『イタリア紀行』を旅する」でありました。


そうしましたら、冒頭に著者の牧野宣彦さん曰く

「(ゲーテのイタリア紀行は)注釈が多く、難解でなかなか先に進まなかった」と書いてあったものですから、ああ、これで良かったのだと思った次第です。


どんよりとして寒いドイツを始め、アルプス以北の人々にとっては

陽光が燦々と降り注ぐイタリアの地に対する憧れは、

並大抵ではないと言われていますけれど、

ゲーテがそもそもイタリアに旅したのも、単にそうした理由からかなと思っていました。


ところが、ワイマールの宮廷に仕えて、行政官として仕事をする中で、

本来志した詩作がままならず、このままでは「詩の心が枯れ果ててしまう」といった危機感が

ゲーテをイタリアに向かわせたのだと言います。

それでも、(糊口をしのぐためには絶対に必要な)ワイマール宮廷とのつながりは

しっかり確保した上で、つまり「休職」する段取りをしてからイタリアに旅立つあたりは、

本人の意識はどうかは別として、実は行政官としても有能だったのかもしれません。


そんなゲーテがたどった途は、ミュンヘン、インスブルックを経て、

ブレンナー峠を越えていくというルート。

まあ、ドイツからのメイン・ルートと言ってはそれまでですけれど、

個人的には数年前に列車で同様のルートをたどり、

真夏だというのに雨にたたられ、震えんばかりの思いをしたインスブルックから

ブレンター峠でアルプスを越えた途端に、眩い太陽に目がくらみ、

ヴェローナに到着したときには汗ばむほどだったという経験が思い出されたわけです。


その後、ヴェネツィアに向かうところまでは個人的経験と重なりますが、

ゲーテはさらにボローニャ、ペルージャ、アッシジをとおってローマに出たあと、

ナポリから渡ったシチリア島を一周して、ローマに戻って帰途に就くわけです。

およそ一年十カ月に及ぶイタリア紀行でした。


詩人ゆえというわけでもないでしょうけれど、

ゲーテは行く先々で、街や建物の景観のみならず、さまざな美術品を見てまわっては

感嘆(ときに落胆)の思いを書き残しています。


ヴェロネーゼ「アレクサンドロスの前に出たダレイオスの家族」

今ではロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵するというヴェロネーゼの

「アレクサンドロスの前に出たダレイオスの家族」をヴェネツィアで見たゲーテの言葉。

この絵は、巨匠の全価値を理解させるに十分なものだからだ。全般的な色調を画面全体にただよわせることをしないで、光と影とを巧みに配分し、また部分的色彩を十分に考慮しながら交錯させることによって、このうえなく見事な調和を生み出そうとする彼の偉大な芸術が、ここにありありと現われている。

という具合で、相当にヴェロネーゼ好みであったらしいにせよ、

恰も美術評論家のように語ってくれているわけです。


また、ナポリの風光明媚に触れたゲーテの褒め言葉が大変なもので、

巷間よく知られた「ナポリを見てから死ね」という言い回しも、

土地の人たちの自慢をゲーテが「イタリア紀行」の中に引用したからこそ有名になったらしいのです。


もっとも、ナポリ入りする前に長逗留していたローマで、

「若きヴェルテルの悩み」に触発されて自殺をする若者が出ていたりするだけに、

カトリックのおひざ元においては著者たる素性を隠してあちこち見物していたようですけれど、

ナポリでは開放感に満たされたということもあるんじゃなかろうかと推測したりもするのですね。


ともかく、旅の過程は馬と徒歩ですから、

今とは比べ物にならないくらいの困難を極めたにしても、

ワイマール公カール・アウグストからの「帰ってこい!コール」が無かったら、

もっともっと長い旅だったのではないかと想像されます。


いやはや、こんな旅をしてみたいものですなあ。

そうはいっても、糊口をしのぐ術、これなくしては成り立ちませんけれど。