この記事タイトルは、(わかる人にはわかると思いますけれど)
山本コウタローの本「誰も知らなかったよしだたくろう」のもじりです。
もっとも、その山本コウタローという人からして、今やどれほどの人が知っておられることか・・・
あの、「走れ、コウタロー」を作った人です。
カラオケで歌われることも多い(と想像する)「岬めぐり」を作った人です。
「誰も知らなかったよしだたくろう」は、その山本コウタローが一橋大学の卒論として書いたもので、
社会学部の卒論テーマになるわけですから、ひところの吉田拓郎を知るよすがともなのではないかと。
(もっとも山本さんが、拓郎に入れ込んでいたというだけかもしれませんが・・・)
ところで、なんだって吉田拓郎かと言いますと、「舞姫」 で思い出してしまったのですね。
そういえば、「舞姫」という歌があったなと。知らなかったでしょう?
今となっては、当然も当然かなと。
それでも、吉田拓郎(初期は、よしだたくろう)の歌は(拓郎の歌と認識してないとしても)
断片的にでも知っているものがあるのではないですかね。
例えばですけれど、
- 「結婚しようよ」 ♪僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになぁったら…
- 「旅の宿」 ♪浴衣の君は、ススキのかんざし、熱燗徳利の首つまんで…
- 「夏休み」 ♪麦わら帽子はもう消えた、たんぼの蛙ももう消えた…
- 「今日までそして明日から」 ♪私は今日まで生きてみました 時には誰かの力を借りて…
- 「落陽」 ♪絞ったばかりの夕陽の赤が、水平線から洩れている・・・
- 「祭りのあと」 ♪祭りのあとのさびしさが いやでもやってくるのなら・・・
という具合に挙げだすとキリがないわけです。
それでも、お心あたりがない方には、極めつけ(になるかな)、森進一が歌った「襟裳岬」が吉田作品。
なのですが・・・これらは全て1975年のフォーライフ・レコード設立以前ですから、
もはや「懐かしのメロディ」と言っても、あながち的外れではないのかもしれないですね。
ここいらまでの拓郎は、メッセージ・ソングから始まったフォークの系譜を継いでいるような気がして、
それなりの強い訴求力を持っていたのかもしれません。
字余りソングと言われる拓郎作品は、何よりメッセージが先にあったればこそだったのでしょうね。
上のリストはポピュラリティを優先したので、あまり重々しくないですけれど、
「夏休み」のように高度経済成長を遂げた日本が置き去りにしたものを淡々と歌っていますし、
「結婚しようよ」も、男が髪を肩まで伸ばすことが世の中への反抗だった時代なわけですね。
それが、フォーライフ以降は、Jポップならぬ当時の歌謡曲との間でボーダーレス化していくわけです。
森進一が歌ってレコード大賞を取ってしまった「襟裳岬」は、フォーライフの前年(1974年)ですから、
このあたりはすでに転換期だったのでしょう。
「襟裳岬」の作詞は岡本まさみで、「旅の宿」や「落陽」も同様ですので、
まだ結びつきは強いと言えましょうけれど、
ソングライターだった吉田拓郎が、「よもや」と思えるような作詞家から詞の提供を受けて
いつしかコンポーザーになって行ったときに、
かつての「よしだたくろう」とは違う作品がどんどん出てくることにもなったわけです。
メッセージは歌詞に託されるのに、その歌詞を作るのは別の人なのですから。
今回、吉田拓郎を思い出すきっかけになった「舞姫」もその後の曲で、
洒落た歌詞(作詞は松本隆)からは「確実に違ってきたな」という印象を受けます。
先に鴎外の「舞姫」を読み返したときに、「明治は遠くなりにけり」に思いを致したのですけれど、
拓郎の変遷をたどりかえしてみると、「昭和も遠くなりにけり」という気がしますね。
あいにく、拓郎版「舞姫」が見つからなかったので、別の曲で懐かしんでみるとしましょうか。