読み終えたところで、「う~ん、いいお話だったなぁ」と思ってしまったのですね。
金城一紀さんの「映画篇」というタイトルの本です。
タイトルとしては変てこですけれど、
文字どおり映画にまつわる話、5編で編んだ連作短編集なわけです。
一編々々の題名も、
- 太陽がいっぱい
- ドラゴン怒りの鉄拳
- 恋のためらい/フランキーとジョニー
もしくは トゥルー・ロマンス - ペイルライダー
- 愛の泉
ということですから、まるっきり映画。
そして、これらとは別に、連作全編を貫いている映画があるのですが、
これは読んでからのお楽しみということで・・・オードリー・ヘプバーンの、あれです、あれ。
とは言いつつも、映画をご存じでなくとも、いい話だということは変わらないものと思います。
ところで、全編を通じて登場するのが、
とある町のショッピングモール内にあるレンタルビデオショップの「ヒルツ」。
一編目に登場する映画好きの少年たちが好きな映画第一位にランクする「大脱走」で、
主演のスティーヴ・マックイーンが演じる役名がヒルツ。
ま、ご存じの方はご存じだと思いますので、ちょっと蘊蓄でしたけれど、
ここで言いたいことは、全ての短編の舞台となるのは、同じ町かその隣町という、非常に狭い範囲なのです。
ただ、よぉく考えてみれば分かりますが、同じ町内会だとしても、
どの家でも全く同じ日常が展開しているわけがありません。
かといって、それぞれの短編の人たちは、顔見知りだったりすることはあるにしても(例えばビデオ屋の店員)
話の中で干渉しあうほどの関係ではないわけです。
そういう狭い範囲であっても、いくつも物語は存在する、そんな当たり前のことにハッとするのでした。
それが、最後の「愛の泉」でどうなるか、ちょっと謎解きめいた要素も含んで、
いちばん読ませてくれるのが、最終編です。
ところで、小説としてはとってもリアルな会話には、「これこそリアル」と思われる向きもありましょうけれど、
書き言葉にされると鼻につくという印象もあるのではないかと思います。
それでも、こんな文章はちょっと粋かな・・・とも思ったり。
「永花だよ。覚えてない?」
それもまた懐かしい響きを持つ名前だった。その響きはあっという間に僕の頭の奥のほうへと入っていき、長いあいだ閉じられたままだった記憶の部屋の鍵となって、すっと鍵穴に収まった。そして、ゆっくりとドアが開き、中から出てきたのは小学生の頃の永花だった。
そして、いろいろな文章を読むたびに、毎度「書く」ことへの背中を押される気配を感じるのですけれど、
なかなか行動に移さない(移せない)でいることに対して、
ようやくきっかけが訪れたのだ。
僕は小説を書くことに決めた。
うまくいくかどうかは分からなかったが、とにかく、頭の片隅に居座っている奴を「自由にして」やらなくてはならなかった。いつまでも飼っておくわけにはいかないのだ。
こんな文に出会うと、そういうタイミングの問題なんだよね…とも思ってしまったりするのですね。
とまあ、話は横道に逸れましたけれど、重松清さんの書評に曰く
ウェルメイドな短編の余韻を超えて、主人公一人ひとりの意志が、きれいに閉じられたはずの物語をさらにもう一歩先へと進めるのだ。
すてきな映画を見た後にも通ずる余韻。そこから先の物語をついつい想像してみたくなる余韻。
そんな思いが去来する物語であったと思うのでありました。