先に読んだ篠田節子さんの「死都」 の中で、
ギリシャの作曲家の曲ばかり弾かされるというヴァイオリニストが出てきました。
そこでふと思ったのは、「ギリシャの作曲家って、知らないなあ・・・」ということ。
調べてみますと、作中で名前の挙がっていたスカルコッタス ハジダキスのほかに
クセナキス ミトロプーロス テオドラキスと言った名前が出てきました。
しかしながら、ディミトリ・ミトロプーロスは作曲家というよりは指揮者として名を残した人ですし、
ミキス・テオドラキスはどちらかというと映画音楽(「その男ゾルバ」とか)で知られる人なのですね。
その他に名前の見つかった人たちも、19世紀末期から20世紀の人で、
いずれもかなり「現代音楽」と言われるものにカテゴライズされる作曲家たちなのでした。
そして、その中で名実ともに一番有名なのが、ヤニス・クセナキスでありましょう。
そうは言うものの、実は知っているのは名前だけで、クセナキスの音楽を聴いたことがありません。
そこで、近所の図書館のCDコーナーを覗いて、一枚だけあったクセナキスのCDを借りてみたのでした。
(画像を大きく載せてますが、お薦めということでなしに、単にきれいだったから・・・です)
曲は、パーカッション・アンサンブルのための「プレイヤード」というもの。
タイトルはプレアデス星団、つまりは昴のことなわけですけれど、
実際にスピーカーからどんな音が飛び出すのか、気が気でないというのが実際のところでありました。
が、聴いてまず思ったのは、「ガムランか?!」ということ。
ただし、ものによってはガムランの方が、断然「現代音楽」っぽい響きを醸すことがありますけれど。
ご存じのようにガムランはインドネシアの民俗音楽ですが、
こうした素人の第一印象があながち的外れでないことが後から読んだ解説で明らかになりました。
作曲者の言葉です。
長い間このセリー(音階)を構成する試みをした後、驚いたことに古代ギリシャや近東やインドネシアの音階に似たものができた。
そして、解説を書かれている方もこう言っています。
音階がこのようなもので、しかも楽器が旋律打楽器なので、この章はおおいにインドネシアのガムランを想起させる。
まあ、誰が聴いてもガムランに聴こえるように思いますけれど・・・。
とまあ、クセナキス初体験はおよそ心配したほどでなかったにせよ、
必ずしも、この「プレイアード」が代表作ではありませんし、
管弦楽の曲などを聴いたとすれば、また違った印象であったかもしれません。
とはいえ、これを切り口にして、クセナキスやギリシャの作曲家の探究を深めてみよう
という気にはならなかったのですけれど。
ひとつ、不思議なことに気づきましたが、
たまたまにせよ、ギリシャの作曲家は現代音楽方面の方ばかり浮上してきたものの、
バロック音楽や古典派、ロマン派の時代、ギリシャの音楽はどんなだったんでしょうか。
そして、それを知ろうにも、ギリシャの歴史を知ろうとすると、
古代ギリシャのことばかりが検索されてきて、
中世、近世、近代そして現代のギリシャを知るには適切な本もないのだろうかということ、
これが謎なのですね。
