何はともあれ、この曲を聴いてみてください。




昔々、渚ゆう子さんが歌った「京都慕情」という曲ですけれど、

いかにも「京都っぽい」という気がするのではないかと思うのですね。


ところが、ところがですよ。

知っている人は知っているのですけれど、これを作曲したのはベンチャーズなのですよ、アメリカの!

こないだコンサートを聴いて 、そうだったよなあと思ったのですけれど、

どうしてこうした曲が書けたのかが不思議なわけです。


音楽の世界はボーダーレスではありますけれど、、やっぱり「らしさ」というのはあるわけです。

例えば、琴の音色で「六段」かなんかを弾かれた日には、「ああ、日本!」と思いますし、

♪チャカチャカチャチャ、チャンチャンチャンと言葉で書いただけてメロディが浮かんで、

「ああ、中国だな」(かなり、ステレオタイプな印象ですが)と思ったりするのですね。


そういう「らしさ」のイメージの延長線上で、「京都慕情」が「京都っぽい」と思っていると

実は作ったのがベンチャーズだった・・・という肩透かしをくうわけです。


なんかこういうと、際物っぽいのですけれど、

モーツァルトだって、ベートーヴェンだって「トルコ行進曲」を書いていますよね。

ずん、たったったった!ずん、たったったった!というリズムにメロディを乗せると

「トルコっぽいね」と認識される土壌が、当時のドイツやオーストリアにはあったのでしょう。


オスマン・トルコに包囲されたことのあるウィーンは、

ずん、たったったった!という、トルコの軍楽隊(とりわけ太鼓)の刻むリズムに震え上がったことでしょうに、

その後100年余も経つと、むしろエキゾチックなリズムとして、時の作曲家たちが取り入れてしまうのですから、

不思議なものです。


とかく作曲家という人たちは、

自分にとって耳馴染みではないエキゾティシズムを持ったリズムやメロディを

使ってみたくなる人種なのかもしれませんね。