しばらく前にブリュージュに関する新書を読んで記事を書いた
ときに、
「ブリュージュのイメージは、クノップフとローデンバック」というコメントを頂戴し、
ずっと気になっていたのが、この本、
ジョルジュ・ローデンバックの「死都ブリュージュ」です。
最愛の妻を亡くし、悲しみに打ちひしがれ、悲しみから抜け出すことのできない主人公
ユーグ・ヴィアーヌが、街角でふと見かけた一人の女性ジャーヌ。
亡き妻に生き写しであった彼女を、常に傍におき、独占したいと思いこむユーグ。
やがて、見せかけの類似に隠された、ジャーヌと亡き妻との大きな隔たりに、
ユーグは苦悩しつつも、離れることができないのであった・・・。
というような話なわけですけれど、あらゆる解説に触れられているように、
本書の主人公は、実はブリュージュという街自体だったりするわけです。
昨年、ゲントにまで行きながら 、天候を慮ってブリュージュ行きを断念したことが悔やまれるとは
前にも書きましたけれど、それでも街の雰囲気がゲントと大幅に異なることはなかろうと類推すれば、
ブリュージュも「死都」だとか「灰色の街」だとか言われる所以はなさそうな気がするのですね。
しかし、本書で描き出されるブリュージュの街は、この物語の背景以上に、
登場人物たちの考え方や行動までも左右するかのような「念」を持った街とさえ
思えてきます。
町の「念」ということでは、
三崎亜記さんの「失われた町」を想起させるような気もしてくるわけです。
物語の湛える情感は、およそ異なるものですけれど・・・
ところで、本書においてブリュージュの街の雰囲気を規定するのは
もちろんローデンバックの文章ですが、
随所に差し込まれているモノクロ写真の図版の数々が効果を発揮している
ことは疑いようもありません。
そして、その印象というのを如実に提示してくれるのが、フェルナン・クノップフ の絵。
たとえば、「ブリュージュの思い出-ベギン会修道院入口」です。
今や観光都市として成り立っているブリュージュにとっては、決してありがたくない雰囲気なのでしょう。
ローデンバックの像を建てようという話は、ものの見事に却下されたそうです。
