古典新訳文庫で「カラマーゾフの兄弟」を今更ながらのベストセラーにした亀山郁夫先生 は、

スターリン時代の文化の研究もされておられるわけで、

「ロシア・アヴァンギャルド」もターゲットに入っていますから、

当然気になっていたわけなのですね。


それが、このBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「青春のロシア・アヴァンギャルド」展です。


「青春のロシア・アヴァンギャルド」展

そうはいっても、知っている作家がほとんどなかろうと思しき展覧会でしたので、

「どんなもんかなあ」と思いつつ出向いたのですけれど、

のっけからぐぐっと来てしまいました。

展示番号の1番が、カンディンスキーの小品、「海景」(1902年)だったのですね。


抽象絵画に至る以前のカンディンスキーが描いた風景画です。

以前、何かのおりに国立西洋美術館の常設展で見られる

カンディンスキーの「アーモンド・スライスのようなタッチ」と書いたのですが、

どうやら西洋美術館で見られるというのは勘違いだったのか、

じゃあどこで見られるだろうと、常々思っていたらやおらの遭遇!

織田裕二ならずとも、「キタ-----------------!」と思うわけです。


ただ、小品であることもあってか、アーモンド・スライス然としたものは小さめで、

コーヒー豆のようなタッチでもありましたが・・・

(何のことやら?と思われた方は、ご覧いただくしかない)


しかし、カンディンスキーは残念ながらこれ一点きりで、あとはサブタイトルどおりに

「シャガールからマレーヴィチまで」ということになります。


極めて最初の方にシャガール が数点。

シャガール作品によく登場するヴァイオリン弾きをクローズアップしたものには、

こんなような解説がありました。


「ユダヤ人は屋根よりも空に近い」というユダヤの言い伝えがあるのだそうです。そして、ヴァイオリンはロシアのユダヤ人の生活の慰めであり、儀式に不可欠な楽器なのだと。

ミュージカルや映画で有名な「屋根の上のヴァイオリン弾き」はこうしたことに根差しているわけですね。

シャガール描くところのヴァイオリン弾きは、

持ち手にどうもリアルさがないなあなどというのはご愛敬ということで。


そして、シャガールのもう一点、「家族」(1911-12年)は

このタイトルの元に、男女が一体となった一人の人物で描かれています。


マルク・シャガール「家族」

これは、結婚による男女の結びつき、

男と女の、否、夫と妻の同一性であり同化といったシャガールにとても影響を与える要素を

先取りしたものなのではないですかね。


その後はしばらく、知らない作家たちながらも

独創性や力強さに溢れた作品が並んでいましたけれど、

その中で、どうしても目を惹いたのがレントゥーロフでした。

レントゥーロフ「教会と赤い屋根のある風景」
「教会と赤い屋根のある風景」(1916年)、

「ノーヴィ・エルサレム修道院の塔」(1917年)といったあたりは

ポップな風景画だなぁと思っていたのですが、

「女たちと果物(モデルたちと共にいる自画像)」(1917年)は、至っては、何とパワフルな絵であることか・・・と。


申し訳のない言い方ですけれど、

地図の上ではヨーロッパの端の方にあるロシアに、

キュビスムやらフォーヴィスムやらの絵画の潮流が一挙に押し寄せた感があります。

画像を紹介できないのが、なんとも残念なくらい大胆なのですね。

ただし、好き嫌いは別としてですが・・・。


次いで現れたのが、ピロスマニです。

グルジアの田舎で、看板書きをしていたというピロスマニ。

そこに見られる素朴さは、文字通りの「素朴派」 と言っても差し支えないものと思えます。


ニコ・ピロスマニ「宴にようこそ!」

上の絵「宴にようこそ!」(1910年代)はまさに居酒屋のための看板絵だそうで、

金属板に油彩で描かれているというのですね。


「素朴派」という言葉が思い浮かんだからでもないでしょうけれど、

やっぱり、アンリー・ルソーのような自由さとオリジナリティーがありますよね。

ほかに展示された「コサックのレスラー」や「祝宴」といった作品も、

それぞれに文字通りの素朴さが感じられるのでありました。


マレーヴィチ「農婦、スーパーナチュラリズム」 さて、お次はいよいよ、本展のチラシにも大きく取り上げられたカジミール・マレーヴィチの登場です。

もっとも、「名前くらいは聴いたことがあるかなあ・・・」

程度の認識だったのですけれど。

どうやら、マレーヴィチはロシアの前衛芸術運動(アヴァンギャルド)の

代表格みたいな画家ということで、

「スプレマティズム」を始めた人だそうです。


絵画の再現性を拒否した、この様式によって「無対象の絵画」を突き詰め、絵画を最も単純な平面幾何学と色価に還元して表現した。

ということらしいのですけれど、

絵を見てしまった方が理解は早い…ですかね。


この絵は、1920年代初頭に描かれたという作品、「農婦、スーパーナチュラリズム」です。

本来的にスプレマティズムを標榜した作品は、

白い十字架だけが描かれていたりするだけだったりするのですが、

難しいことはさておいて、この時期の作品であっても、幾何学的な形、そしてはっきりした色は一目瞭然かなと。


レーニンの死去によって、スターリンが政権を掌握し、あらゆる方面への統制を強めていくのは1924年以降ですけれど、

そのような押し付けの統制下には至っていないにしても、社会主義革命を経たロシアにあっては、

もはや田畑はきっちりした区画であり、そこで作業するのも「一人の農婦」というより「作業員A」といった

個性を持たない存在であるかのように表現されているのでは…といった想像を生んでしまいます。


それはそれとして、これほどパワーを感じさせる絵を描いていたマレーヴィチも、

最晩年には実にアカデミックな画風による肖像画(自画像と奥さんの肖像)を描いて、

これも展示されています。


あれこれ感慨を抱くところですけれど、

たとえば「壁にぶちあたったかな」「やりつくしたこともあろう」などと考えるものの、

ひと言で言ってしまえば、見てとれるのは「疲れ」ではないかと思えます。


「青春のロシア・アヴァンギャルド」。

時代は流れ、あの頃はもはや遠くなりにけり・・・でしょうか。