エンリーケ・ビラ=マタス「バートルビーと仲間たち」
「バートルビー」というのは、

あの「白鯨」の著者ハーマン・メルヴィル作の「代書人バートルビー」から

取られていて、一言で言ってしまうと「何もしない人」の代名詞ということで、

ここでは「バートルビー症候群」に取りつかれた作家たち、

つまりは、何も書かない(書けない)ようになってしまった作家たちを

次々に引き合いに出してくるという内容。

いわゆる「バートルビーと仲間たち」というわけです。


普段、興味の赴くままに関連するような本ばかりをたどっていますと、

どうしても新奇なものとの巡り合いが少ないでしょうから、

新聞の書評欄を気にかけて見ているのですけれど、

「今年1年の、いや、いっそのこと、今世紀10年のベスト翻訳書に挙げてしまおう」

とまで褒める紹介文が掲載された本書は、

やっぱり気になる存在だったわけなのですね。


しかしながら、どうも最近は結果的に

読み進めるのに困難を来すような本 ばかり選んでしまっているようです。

実は、この「バートルビーと仲間たち」もなかなかに難儀しました。

結構、ペダンティックな読み手には大きく好奇心を刺激するものであろうという想像はつきますけれど、

はて、自分自身にとってはどうだったか…


俎上に上るのは、書かなく(書けなく)なった作家たちですが、

何か書きたいと思いつつ、結局何も書いていない自分自身に擬えて読んでしまうところもあります。

自分が何も書かないのは、霊感の訪れを待っているからなのだというのは、いつの時代でも使われる言い逃れである。

うむ、一刀両断の手厳しさ。でも、当たっているからこそ、手厳しく思えるのでしょうけれど。

やはり書けないときに、この言い逃れを使ったことがあるというスタンダールの「自伝」からは

こういう引用がありました。

もし1795年頃に自分の執筆計画を誰かにうち明けていたら、もののわかった人がきっと霊感のあるなしを問わず、とにかく一日二時間ものを書きなさいと教えてくれたことだろう。その言葉に耳を傾けていたら、ただ霊感の訪れを待つだけで十年間を棒に振ったりせず、有効に生かせたにちがいない。

これもまた、そうだろうなと。とにかく書きなさいということなわけで。

ただし、書いたものがどうなるかは助言者の関知するところではないわけであって、

世に出したいと思っても出るとは限らず、出たところで待っているのは酷評かもしれず・・・

そんなことを言っていたら、結局何も書かないことになるんでしょうね。


ただ、良し悪しは二の次にして、こんな紹介もありました。

(アメリカのバーリントンにある)ブローディガン図書館には、出版社に送ったものの、撥ねつけられて日の目を見ることのなかった手書きの原稿だけが収められている。…確かな筋からの情報によると、向こうは不運な作品だけを集めようとしているので、どのような手稿も撥ねつけられることはないとのことである。それどころか、最大級の喜びと敬意を持って手稿を大切に保存し、展示してくれる。

どうでしょう。うれしくもあり、うれしくもなし・・・ではないですかね。