きのうパルテノン多摩 で、

ジャパン・チェンバー・オーケストラの演奏会を聴いてから

つらつら考えていたのですけれど、

指揮者はいるんだろうか?いらないんだろうか?


ジャパン・チェンバー・オーケストラというのは、

聴きにいくまでちいとも知らなかったので、

「セミ・プロか?」とも思っていたのですけれど、

ところが、東京都交響楽団ソロ・コンサートマスターの

矢部達哉さんをコンマスに、東京の主要オケのトップなどを

中心にしたメンバーなのだそうですよ。

どおりで上手いわけだと、後から得心がいったのでした。

ただ、概してパルテノン多摩のコンサートは

チケットが高めということもあってか、

大ホールの半分くらいしか埋まっていないのは、

内容が良かっただけに可哀想な思いがしました。


ちなみに曲目は、シューベルトの「魔法の竪琴」序曲、

横山幸雄さんをソリストに迎えて

ショパンのピアノ協奏曲第2番、

そしてメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」というもの。


アンコールまでがシューベルトで、

ロマン派の若くして亡くなった天才たち(いずれもが30代で没している)の作品集なのでした。


中でも、めっけものだなと思ったのは、メンデルスゾーンの「スコットランド」。

4番シンフォニー「イタリア」の軽快な疾走感に比べ、

こちらは厳しい自然に対峙する巌(いわお)のごとき様相だものですから、

非常にとっつきにくかったわけです。


それが、初めて生演奏で聴いてみますと、

「ロマン派の音楽ってのは、こういうのを言うんだなぁ」としみじみ。

当たり前ですが、古典派の構築性とは違う自由な感情のほとばしりのようなものを

今更のように感じたわけです。

ライブだからこそ、かもしれないですが。


ところで、指揮者の話でした。

このジャパン・チェンバー・オーケストラは指揮者を置かずに演奏していたのでして、

見てくれの点では、ステージ上「あるべきところにあるものがない」といった違和感はありました。


でも、絶対なきゃいけないかというと、今回のように立派な演奏はあるわけです。

ただ、プレイヤーの数が多くなる、大編成のオーケストラでは取り仕切る人=指揮者の統率は

必要不可欠になってくるでしょうし、複雑な曲になっていっても同様なのでしょう。


それから、曲の解釈にオリジナリティが聴けるかどうかという点では、

指揮者がいた方が個性的な演奏を聴けるように思います。

(あくまで、指揮者の思い通りの解釈ということでしょうけれど・・・)


これが、指揮者不在で、プレイヤーが皆で曲作りに参加することになりますと、

とんがった意見は丸められるなどして、中庸な演奏に仕上がるような気もしてきます。

安定的に「美しい曲を美しく聴く」ということなら、全く問題にはなりませんが。

ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番ニ短調作品15
曲の解釈という点では、

指揮者とソリストの意見が対立したまま演奏され、

CDにも残されている「ケンカ・ブラームス」は有名ですよね。

ライブの冒頭、指揮者のレナード・バーンスタインが

「(ソリストのグレン・)グールド氏の解釈には賛同しない」と

異例のコメントを発してから演奏に入るという・・・


音楽家の方々も、それぞれに曲の解釈には意見をお持ちでしょうから、

たった二人(指揮者とソリスト)だけでも対立することがあるわけで、

何十人かのメンバーにコンセンサスを求めるなら、

指揮者というのも必要なのではないかなと思ったのですね。


まあ、バーンスタインにたてつくのですから、

グールドはやっぱりただものではない! としても。