中野京子「怖い絵」
読む本がふと途絶えた時に立ち寄った図書館で

たまたま手に取ったまま借りてきたものが、

この中野京子さんの「怖い絵」という本でした。


以前から、「怖い絵」という本があることは知っていたのですけれど、

はっきり言って、タイトルでビビっていたのですね。


怖いものは大嫌いなのでして、

できることなら近寄りたくも、手に取りたくもないわけでなのです。

この本にしても、タイトルどおりであれば、

例えば円山応挙の幽霊とか、そういう系の絵を集めた本のなのか

と思ったわけですね。


しかしながら、いざ手に取って目次をパラパラしてみると、

どうも「様子が変?」という印象。


ちなみに、本書で取り上げられた20の作品を列挙してみましょう。


  1. ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』
  2. ティントレット『受胎告知』
  3. ムンク『思春期』
  4. クノップフ『見捨てられた街』
  5. ブロンツィーノ『愛の寓意』
  6. ブリューゲル『絞首台の上のかささぎ』
  7. ルドン『キュクロプス』
  8. ボッティチェリ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』
  9. ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』
  10. アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』
  11. ホルバイン『ヘンリー八世像』
  12. ベーコン『ベラスケス〈教皇インノケンティウス十世像〉による習作』
  13. ホガース『グラハム家の子どもたち』
  14. ダヴィッド『マリー・アントワネット最後の肖像』
  15. グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』
  16. ジョルジョーネ『老婆の肖像』
  17. レーピン『イワン雷帝とその息子』
  18. コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』
  19. ジェリコー『メデュース号の筏』
  20. ラ・トゥール『いかさま師』

どうです。 なんだか騙されてるじゃないかと思うほどに、こわくなさそうではありませんか。

ということで、ちょっと安心して読み始めたわけですけれど、

「怖い」という要素は、確かにそれぞれの絵にあるわけでして、

「言われてみれば、そうかあ」と思うのですね。


例えば、ドガの「エトワール」では、舞台上で踊る踊り子を袖に立つパトロン(?)が

「お前がスポットライトを浴びていられるのは、おれのおかげなんだぜ」

と言わんばかりに見ている・・・という「怖さ」。


ティントレットなら、マリアに処女懐胎を告げにきた大天使ガブリエルにつき従ったプットーの

雲霞のごとくなだれ込んでくる「怖さ」。


そのほか、ムンクの絵には黙っていても、冷え冷えとした怖さがありますし、

クノップフでは沈黙という怖さが漂っているわけです。


とまあ、そんなふうに解釈次第ということを含めて、「怖さ」のほどを堪能?していったわけですけれど、

ふいに現れたべーコンの絵には、肝を冷やしました。

これは!!文字通り怖いだったのですね。


ベラスケス「教皇インノケンティウス十世」

ベラスケスのこの絵を、イギリス経験論で有名なフランシス・ベーコンを先祖に持つ同名の

フランシス・ベーコンが自由に改変した作品。

怖いものは好きでないので、ここではあえて画像を引用することはしませんけれど、やっぱり「怖い」です。


なぁんだ、文字どおりの「怖い絵」の話ではないんだと油断していただけに、

騙された感がありましたが、でも本当に「怖い絵」はベラスケスの原典の方なのかも。


完成した絵を見た教皇自身は、「真を穿ち過ぎている」と言ったとか。

確かに威厳のようなものを感じることはできますけれど、

決して慈愛に満ちた感じは、およそ見られません。


教皇であるからには、教皇らしさを持った肖像画に描いてほしかったことでしょう。

ところが、あまりに「ありのまま」に映し出された自分の姿には、

愕然とさせられたかもしれません。

真実をリアルに映し出してしまうことの怖さ。

これは、ジョルジョーネが描いた「老婆の肖像」に見る、あまりのリアリティの残酷さ、怖さと

実は同じものなのかなと思うわけです。


いやはや、一言で「怖い」と言ってもいろいろだなと思うのでありました。