池澤夏樹「きみのためのバラ」
旅に出かける前に図書館に予約しておいたら、
順番が回ってきたので借りてきたのですけれど、
何で読もうと思ったのだったかな?
たぶん書評か何かで見かけたのだと思いますが、
旅がらみの話の短編集でありました。

舞台になっているのは、実にまちまち。
羽田空港(たぶん)に始まって、バリ、沖縄、アマゾンの奥地、ヘルシンキ、
パリ、カナダの北の方(おそらく)、そして最後がメキシコでした。
 
それぞれに、旅の情感(旅にはこういった感じがつきものですね)があり、
人生の機微とクロスするところが、小説を読んでいるという以上の「何か」を伴って、
読み手のところに去来します。

人生の中で、ふっと熱が湧くときがあって、またふっとその熱が冷める・・・

沖縄での『連夜』は、いにしえの琉球王朝の王女が報われぬ恋を抱えて亡くなったがために、
誰かの身体を借りて、かつての恋の成就を願うというエピソードが自分たちに降りかかったとしか思えないほどに、突然の熱に冒されて連夜の情交を繰り返す男女がふっと覚める。

大した額ではないにせよ遺産が突然ころがりこんだことで、
「この金があって、自分が若かったら、何をするだろう?」と考える男。
「そうだ、パリに行こう」と、パリで当ても無い、なんとなくの毎日を過ごすことが
自分にとっては『人生の広場』だと思える。
人生という路を歩いてきて、やおら広場に出た。広場から先へ行く路は何本もあるけれど、どれをとるか。
広場でしばし考えてみようという、人生のひととき。広場は珍しくもあり、楽しくはあっても、
やがてどこかに路を選んで、再び歩き始める。

「世界を見たい」と旅立った青年が、メキシコ・シティへ向かう列車の途中駅、
ホームで素敵な少女に出会う。
混雑した車内で乗るところはばらばらだけれど、
彼が知るわずかなスペイン語で伝えた「アスタ・ルエゴ(また会いましょう)」の実現を願う。
また別の停車駅のホームで売っていた黄色いバラを買い、『きみのためのバラ』として彼女に渡すために、車内の人の波をかき分けて、彼女を探し出す。
「きみのためのバラ」が彼女に手渡され、もう一度「アスタ・ルエゴ」と声をかけるけれど、
「もう会うことはない」と分かっている。

熱が湧き、熱が冷める… 必ずしも、北方の旅ばかりではないけれど、夏に合う話たちだと思えた。