かなり難儀して読んだことがありますけれど、
それに比べて何と読みやすかったことでしょう!
朽木ゆり子さんというジャーナリストがふと?思い立って
フェルメールの全ての絵を見るために欧米を一気に駆け回るのですね。
そこは、三十数点(数は、学者によって意見が分かれているようで・・・)しか
作品の無いフェルメールだからこそできることなのでしょう。
ベルリン、ドレスデンに始まって、
その美術館に1点しかフェルメールの無いウィーンやエジンバラにも出向きます。
もちろんアムステルダム、デン・ハーグ、
そしてデルフト(デルフトに絵はないですけれど、ゆかりの地ですものね)にも。
そして、最後は一番所蔵点数の多いニューヨークまで、
各地の美術館の話も織り交ぜながらフェルメールの一点、一点を紹介してくれています。
つくづく今回の旅の前に、というより去年のニューヨーク行きの前に
読んでおけばよかったとつくづく思ったのでした。
こんなの読んじゃうと、マネしたくなっちゃいますよね。
ところで、以前コメントで「牛乳を注ぐ女」の後ろの床に置いてあるものが何か知ってますか?
と聞かれたことがありました。
あちこちに行って、あれこれ絵を見て回ったりしてますけれど、こと美術に関しては、
完全に「素人」(半可通・・・?)だものですから、
残念ながら知らないことを正直に(当たり前ですが)お答えしました。
それが!こんなに早く判ってしまうとは!
朽木さんによりますと、
「私はこれまで、この箱は鼠取りだろうと思ってきたのだが、実は足温器だった」というのですね。
そくおんき!
中世絵画に溢れている「寓意」というものに従いますと、
「足温器は、情熱を暗示する小道具」ということになるそうです。
ただ、多くの美術史家も言ってるそうですけれど、
「フェルメールには、この絵にそのような寓意を持ち込む意図はなかった」らしいです。
フェルメールは、当時でも多くの画家が当たり前のように絵の中に忍ばせた「寓意」といったものを、
どうやら超越して「絵」そのもので勝負を賭けた画家だったようですね。
では、描いているときにたまたまそこに足温器があったからなんじゃないの?と、
単純に思ってしまうところですけれど、
これがまた、ほんとはそこに洗濯籠が描かれていたのをつぶして、足温器を描いたとなってきますと、
「なぜなんだ?」と謎は深まるばかりです。
もちろん、ただ眺めるもよし、あれこれ考えて見るもよし。絵を見るのは面白いものですね。
