パウル・クレーなどにも影響を与えたという
ベルギーの隠れた巨匠ジェームズ・アンソールの作品。
1881年作のこの作品。
女性の弾くピアノを聴き入る男性の姿が描かれています。
タイトルは「ロシア音楽」。
いったい、どんな音楽が流れているのでしょう。
ところで、今日の主役はアンソールではありません。
「二十人会」と称する展覧会に出展されたとき、
作者のアンソールから「ただの真似だ!」と非難された
フェルナン・クノップフの「シューマンを聴きながら」。
アンソールの「ロシア音楽」に遅れること2年、
1883年に制作された「シューマンを聴きながら」。
これが、今日の一枚です。
どうでしょう?
アンソールが激怒するほど、似ているとも思えません。
絵が訴えかけようとしているものも、全く異なるように感じられます。
顔が片手に隠れて、表情を読み取ることはできませんが、
シューマンの音楽を聴きながら、楽しんでいる、くつろいでいるというよりも
「悲嘆をくれた」といった空気に支配されているようには見えませんか。
どうして、これほどの悲嘆に満たされているのでしょうか。
彼女に聴こえているのは、いったい何なのでしょう。
【ブリュッセルの画商エミールさんの思い出話】
祖父から聞いたことがありますよ。
アンソールが、そりゃずいぶんと怒ってたらしいです。
ところが、クノップフにしてみれば、全然違うものを描いたんだの、一点張り。
決して仲直りはしなかったみたいですね。
クノップフは、ずいぶんとシューマンの音楽が好きだったようです。
ということは、シューマンの生涯なんかにも興味があったんじゃないかと思ったんですが、
そう考えると、あることにピーンと気がついたんですよ!
この絵に描かれた女性はシューマンの奥さん、クララなんじゃないかってね。
おやおや、エミールさんの想像力はそうとうなもののようです。
ただ、エミールさんにならって、シューマンの生涯に想像力を働かせてみると、
あながち「想像」というだけは、すまないのかもしれません。
晩年というには早い40代半ば、ロベルト・シューマンは精神を病み、
9歳年下の妻クララに看取られながら、亡くなりました。
その数年前、若き日のヨハネス・ブラームスと出会い、その音楽に触れたシューマンは、
音楽誌に熱烈な賞賛を込めた評論を寄稿したといいます。
しかし、妻クララと青年ブラームスの仲を疑い始めたシューマンが
死の床でクララに囁いたひと言は「Ich weiss」(私は知っているんだ)でした。
ただでさえ夫の死に打ちひしがれながら、疑心に苛まれながら死んでいった夫を思うときに
クララは胸の押しつぶされるような思いであったに違いありません。
いつも、夫の最後の言葉が聴こえてくる・・・
クララとブラームスの交友が、果たしてお互いの愛情にまで至っていたのか。
この点は、今に至るも決定的な証拠が発見されたわけではありません。
それでも、画家クノップフにとっては、大きなインスピレーションとなったのでしょう。
文学的なタイトルと同時に、見る者に圧倒的な迫力で人間の苦悩を提示する今日の一枚。
フェルナン・クノップフ作、「シューマンを聴きながら」。
顔の表情を一切描かずに、画面全体から痛切な悲嘆を放射する、想像力に問いかける一枚です。
*この番組は、TV東京ともKIRINとも日経とも関係のない、私家版です。
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