「ヴェニスに死す
」に接したこともあって、
やおらヴェネツィアを探究するかと思ったのですね。
そこで読んでみたのが、この「図説 ヴェネツィア」です。
ヴェネツィアには、これまで2回行っているのですけれど、
いずれも観光客の域を出ない訪れであっただけに、
歴史的なものを含めて、実は知らないことがたくさんあるのだろうと
踏んだわけなのです。
本来、海に面した利を活かして、
小さいながらも独特の海洋国家を築いたヴェネツィアですけれど、
表玄関は当然に海!だったわけです。
ヴェネツィアへの到着は、サン・マルコ広場に近い河岸、
すなわちドゥカーレ宮へのアプローチとして行われるのが自然だったのですね。
陸地に近い側にある、サンタ・ルチア駅に電車で到着するとか、
またこれにほど近い場所(ローマ広場)にバスや車が入るとかいうことは、想定外だったわけです。
現に、「ヴェニスに死す」のグスタフ・アッシェンバッハは、船で海側からアプローチしています。
ヴェネツィアの魅力に想いを馳せるとき、
このように船でサン・マルコの辺りに近づいていくというのは感慨深いものなのですね。
「ヴェニスに死す」の主人公よろしく、トリエステ方面から船で入ったとすれば、
だんだんと右手にはドゥカーレ宮、左前方にはデラ・サルーテ教会が見えるわけです。
これが、なかなかに壮観なのですね。
といっても、船でヴェネツィア入りしたことがあるわけではありませんから、偉そうなこと言えません。
でも、2回とも入りはサンタ・ルチア駅ながら、
出の方はサン・マルコ河岸からヴァポレットで空港へ向いましたので、
振り返れば、先に言ったような光景が広がっていたわけなのでした。
ところで、いかに海洋国家として栄華を誇ったとはいえ、
だんだんと海運が陸路にシフトされていけば、むしろ大陸から離れていることはデメリットにもなりますし、
交易品が必ずしも自然の産物ばかりでなく工業製品になっていく中では、
工場を作るような土地のないヴェネツィアは自ずと仲介業者的な存在になっていくのですね。
対岸とヴェネツィアを結ぶ鉄道橋の開通が1846年1月。
早いといえば早いですし、遅いといえば遅い。
ヴェネツィアがヴェネツィアたる輝きを失いつつある中でも、海にこだわった結果なのでしょう。
「個性」にこだわり続けて、オリジナリティーを保持したあまり、
いざ気がついてみると、すっかり時代に取り残されていた・・・
あたかも鎖国によって外界からの門を閉ざして、オリジナリティーを示してきた江戸期の日本が
開国の止む無きに至ったのと、符号するような気もしてきます。
黒船の来航は、1853年。
世界を取り巻く大きな時代の潮流が、独自の文化を培った海洋国家を飲み込んでいった時期なのでしょうね。