前に立川志の輔の「歓喜の歌」 のDVDを貸してくれた同僚が、また別の志の輔落語のDVDを貸してくれました。

渋谷のPARCO劇場でやった独演会の模様を収録したものですけれど、

その中の一本が、「中村仲蔵」という人情噺だったのでした。


どうも日本の古典芸能の類いには縁がなくって、実は歌舞伎も一度も見たことがありません。

興味がないではないのですけれどね。

でも、いざ歌舞伎座に行こうかなと思うと、ワーグナー の場合の「バイロイト詣」のような気がしてくるわけです。

つまり、常連客でいっぱいという・・・


まあ、そんな気がして接点のなかった歌舞伎ではありますけれど、

一般常識として、「仮名手本忠臣蔵」が、その演目のひとつであることくらいは知っているわけなのですね。

そして、本編の主人公たる中村仲蔵さんは、その忠臣蔵の五段目に革新をもたらした人なんだそうです。


歌舞伎役者と言えば、今でも世襲と受け止めているわけですけれど、

江戸期においてはなおのこと、家柄もないのに役者ができるかぁ!みたいなものだったのですね。


しかし、芝居(歌舞伎)が好きで好きでしょうがない仲蔵さんは、「通行人A」でもいいからと役者を志します。

よほど好きだったのでしょうね、端役であっても、演技にひとひねり。

それが、見る目を持つ人の目にはとまるわけです。


その、目をとめた人というのが、市川団十郎という大名跡の四代目。

仲蔵さんの芝居もさることながら、四代目団十郎もできた人だったんでしょう、

家柄も何もなくても、「こいつの芝居には何かある!」と思えば、

「こんな有象無象を取り立ててもいいですかい?」という周囲の目も気にせずに、取り立てていくのですね。


こうして、仲蔵さんは、当時ぽっと出がなれるはずもなかった「名題」(落語で言う真打のようなものでしょうか)になるわけです。

しかし、取り巻きとしては面白くない。

意地の悪い嫌がらせとして、あてがった役どころが忠臣蔵五段目の定九郎の役。

「名題」ともなった役者が演じる役どころではない変てこな役回りなのです。


それでも、これも試練と今まで誰もが試みたことのない、いわば定石破りの新演出をひとりたくらんで

舞台に臨んだ仲蔵さんの、果たして出来やいかに・・・。


これ以上言うと、初めて噺に接する人につまらなくなってしまいますから、ほどほどにしときますけれど、

歌舞伎ばかりでなく、「演出の妙」といったものを考える機会ともなる、い~い噺です。


たまたま先日、浮世絵展 で役者絵なども見てきましたので、

なおのこと興味深く接した一席でありました。