ゴーギャンが取り上げられていました。
作家の(作詞家という方が馴染むのですが)
なかにし礼さんが登場して、
これでもかとゴーギャン礼賛していたわけです。
ところが、知名度のわりにはあんまり
ゴーギャン、ゴーギャンという話を聞きません。
単に、個人的な好みとは違うからかな・・・
とも思うのですけれど、
そこにはやはり何かしらがあるのかなと
ゴーギャン探求をしてみたのでした。
だいたい、ゴーギャンなのか、ゴーガンなのか
ということもありますけれど、
ここではとりあえずゴーギャンということで。
予備知識としては、ゴッホとアルルで共同生活をしていた、
タヒチに渡ってその土地にまつわる作品を残した…
というところでしょうか。
改めて生い立ちに触れてみますと、生後ほどなくしてペルーに行って、
子供時代の鮮烈な思い出が刻まれたのだといいます。
ひもといた本によれば、
彼の人生と作品は、おぼろげに記憶している幼年期の失われた楽園を何とかして取り戻さなければならない、という思いに支配されていた。
ということになります。
時代的には当然のように印象派の影響下にあるわけですけれど、
ゴーギャンの世界は必ずしも印象派の考えとは相容れないところにあります。
自然にあまり多く依存して描いてはいけない。芸術は1つの抽象だ。自然の前で夢想しながら自然から抽象するのだ。そしてその結果もたらされる創造についてもっと考えること。神に至る唯一の道は、神の如き巨匠と同じようにすること、つまり創造することだ。
これは、ゴーギャン自身の言葉です。
ゴッホと一緒にいられるわけがないなぁ・・・と思いますよね。
これは、ゴーギャンの有名な作品「説教の後の幻想」(1888年)です。
ブルターニュの装束に身を包んだ女たちが、教会での説教を受けた帰り道に見た幻想。
それを、実在の女たちと一緒に幻想を描いてしまうところが、先の言葉の実践でもあろうかと。
そう考えないと、女たちの目の前で実際に天使とヤコブが相撲を取っているところになってしまいます。
(天使とヤコブの格闘は、葛飾北斎の「北斎漫画」から構図がぱくられています。)
というふうに探求をしてきますと、興味も出てくるところではありますが、
やっぱり好き嫌いでいうと、好きなほうではないなあ・・・。
「こんにちは、ゴーギャンさん」ならぬ、「ごめんなさい、ゴーギャンさん!」ですかね。


