映画「マンデラの名もない看守」を見てきました。
原題は「Goodbye Bafana」で、
これでは訳が分からず、客も呼べないと思ったのでしょうか、
邦題ではマンデラの名を冠することとなっています。
ですから、主人公はあくまで看守役のジョセフ・ファインズであり、その妻役であるダイアン・クルーガーということになります。
デニス・ヘイスバート演ずるネルソン・マンデラは、
もちろん重要な存在であり、役どころではありますが、
南アフリカの白人にとって、アパルトヘイト政策が当たり前のことであった時代の一般人とはこうだったのかということを知る点でも、看守家族が主人公であるわけです。
ですから、最初のうちはマンデラをテロリストと信じて疑わず、
黒人一般を差別されることが当たり前との前提で交わされる会話には、酷く違和感とともに戸惑いすら感じるのですね。
それが、マンデラ本人に触れることによって変わっていきます。
肌の色や生まれ育ち、宗教などを理由に生まれつき他者を憎む者などいない。人は憎しみを学ぶのだ。憎しみを学ぶことができるなら、愛することも学べるはずだ。なぜなら、愛は、人間の本性により自然によりそうものだからだ。
これは、マンデラの言葉です。
そうはいっても、ガンジーの時代とはまた違っていますから、非武装で闘うわけにもいかず、
必然「目には目を」的な、暴力的な応酬が白人と黒人の間で続いてしまうのですね。
しかし、人物からにじみ出るものをくみ取って、
当初は全く敵対する立場にあった看守ジェームズ・グレゴリーはマンデラという人物に惹かれていくわけです。
実際、権力の逆転ともいうべき、マンデラの大統領就任にあたって、
これまで虐げられてきた側が権力を握ると、かつての権力側を弾圧するという
歴史上幾度となく繰り広げられたことが起こらない国作りが始まりました。
映画は、そうしたマンデラの輝かしい業績めいたところまでは及びませんけれど、
そうした時代の到来を目にしたジェームズ・グレゴリーは自分の受け止め方に誤りがなかったことを
改めて悟ったのではないでしょうか。
ともすると夫よりも南アの日常を当たり前のものとして受け止めていた妻のグロリアも
おそらくは懐疑的ながらも夫を信じる姿勢があればこそ、
「黒人びいき」とののしられながらも、家族が破綻せずにすんだのだと思います。
あたかもドキュメンタリーであるかのような、淡々とした運びは
近頃の映画にあって、かえって新鮮かもしれません。
映画としてのありようがどうのと、技術的なことはさておいて、
見るべき要素のある映画と言えるのではないでしょうか。
