聖火が日本に到着しましたね。
明日は、長野の街中でリレーが行われるということですけれど、
「聖火リレー」が、ギリシャのオリンポス山で採火された聖火を、開催都市までリレーして運ぶものではない
と気づいたのはいつだったでしょうか。
幼い頃はもちろん、分別のつくようなある年齢までは、てっきり火を大事に、大事につないでいくもの
だと思っていたわけです。
今回もフランスで起こりましたけれど、ハタと気づくきっかけは「聖火が消される」という事件ですね。
運ぶ途中で、火が消える!
つまり、なくなっちゃうわけです。
ということは、振り出しに戻って、オリンポス山で採火して・・・
「これは、大変なことだぁね、開会式に間に合わなかったら、いけんよね」
と、真剣に考えていたのですが、実際はなんつうことはない。
「予備があるから、問題ないもんね」というところ。
実際には、予備があるというより、リレーして走っているときの火がまさに「予備」なわけで、
本当の本物は、カンテラのような防風容器にしっかりと収まっているという。
今日のTVニュースでも、「聖火が羽田に着いた!」としてタラップで掲げられたのは、まさにカンテラでした。
ま、カンテラがいけないわけではないですけど、
リレーというからには、切れ目なく繋いで
(海を渡るときにどうすんだろ?とまじめに悩んで、船で消えないように守って守って・・・なのだろうと)
たどりつくという、ドラマチックな姿を(かつては)想像していただけに、
なんだよ感はひとしおな思いがしたものです。
ということで、聖火リレーの目的が「聖火を運ぶことでない」とすると、
いったい何なんだと思ったわけですが、
極めて簡単なことで、ようは「宣伝」なんですね。
そう思うと、なんだかばかばかしく思えてくるようなところも・・・
いまさらのことを、つらつら書きましたけれど、「聖火の羽田到着!」を見て、
健気にも「ギリシャから火を繋いでくるのは大変なことだろうなあ」と真剣に考えていた頃の、
あれこれを思い出したのでした。