印象的だった映画「イーオン・フラックス」を見てみました。
妙に身体にぴったりのボディスーツで、大立ち回りを演ずるという、
とにもかくにもシャーリーズ・セロン一人舞台の映画。
どちらかといえば、きれいというよりも「かわいい系かな」という顔立ちですので、
確かにスタイルが良いのでしょうけれど、
あんまり強調されると多少違和感を感じたりもしますね。
品種改良した麦から発生した新型ウィルスの感染で、
人類の99%が死滅し、辛うじて発明されたワクチンによって生き延びた500万人は、
外界のウィルス感染から彼らを守る壁の内側の小さな世界で暮らしていた。
時に、2415年。
ワクチンを発明した家系が政府を仕切っていたが、革命分子が活動を始める。
最強の戦士、イーオン・フラックスを先頭に!
というわけで、イーオンが敵地に乗り込むあたりで、例の這いずりが見られるわけです。
しかしながら、ここいらが見ものということにしてしまっては、それだけの映画になってしまうのですね。
実際、敵の本拠に乗り込むのがかなり早い段階で訪れますから、
「もしかして、もう佳境なの??」と思えるほどです。
なにせ最強の戦士イーオンですから、敵地であろうが、
さっさかとターゲットたる政府の議長の目前に到達し、銃をつきつけるのですけれど、
やっぱり、これで終わってしまうはずがない。
もはや命は風前のともし火と思われた議長が振り返ると、イーオンに向かって、別人の名前で呼びかけます。
さあさあ、いったいどうなるんだぁ?!という展開ですね。
話の中で「過去がなくては生きられない」とか何とかいう台詞があったかと思います。
この辺がストーリーの勘所なわけですけれど、
こういったひと言には、ついつい考えをめぐらせることになりますね。
前に何かの本で「人は『忘れる』からこそ生きられる」という言葉を見たことがあります。
過去にあった嫌なこと、辛いことなんかを全部覚えていてしまうとしたら、
どんどん積もり積もって、夜も寝付けないか、悪夢にうなされるかということになってしまうかも。
でも、人間はちゃあんと忘却するわけで、
いろんなことを「時が解決する」というのは、ある種、蓋し名言!なのですね。
ところが、じゃあ「過去が無い」としたらどういうことになるか。
先日読んだ「メタボラ」
なんかもそうですけれど、
よくある記憶喪失モノにあるように、当人は悲嘆にくれるわけです。
多くは忘れていくけれど、確実に積み重なった過去の実感のようなものに支えられて現在があるという
普通の状況に比して、過去がない、過去の実感がないとすると、
なんだか今現在が中空に浮いているような不安定感があるのでしょう。
「イーオン・フラックス」の登場人物たち、取り分けヒロインのイーオンなどは
つかみ所のない過去に戸惑っていることが少しずつ分かってきます。
映画の冒頭で、すれ違いざまの他人を見て、涙を流す老人が出てくるのですけれど、
これなども記憶のポケットはからっぽなのに、そこに思い出の何かが空気のようにあって、
その空気感が涙を押し出させたのでしょう。
決して、彼らは記憶喪失ではないのに・・・
辛いことは忘れてしまった方がいい。
でも、楽しかったことはいつまでも覚えていたい。
人間は、何とも虫が良すぎる話を求めているのかもしれないですね。
