かなりオーケストラ作品に偏っているものですから、
ピアノ曲はほとんど聴くことがありません。
だもんですから、その筋では超有名なショパンも、
いくつかメロディこそ知っていても、およそ何の曲だか分からない・・・
というのが実情です。
とは言っても、このところの関心がポーランドに向いてきた
からには、
やっぱり何と言っても、フレデリック・ショパンを素通りしては失礼だと思ったわけです。
そこで、何かしら曲も聴いてみようと思うかたわら、
その生涯にも迫ってみるかと思ったのですね。
そこで手にしたのが、新潮文庫で出ている「作曲家の生涯」シリーズの一冊です。
だいたいポーランド人なのに、なんだってChopinがショパンなんでしょう?
ポーランド生まれではあるけれど、パリに出て、ジョルジュ・サンドと浮名を流し、そしてパリに死す。
だから、フランス風にショパンなんですかね?
答えは意外にも簡単なのでした。
フレデリックの父親、ニコラ・ショパンはフランス人だったということなのですね。
理由は不明ながら、16歳でポーランドに移住、ポーランド人の奥さんをもらい、
生まれた子供がフレデリックというわけです。
どうやらポーランド風には(つづりも違いますが)フレデリク・ショペンというようですが、
父親の故郷であるフランスに戻れば、本来のフランス名ショパンということで問題無いのでしょう。
ただ、日本ではショパンという名前や響きにくっついたイメージがあって、
ショペンでは夢見るような雰囲気は出ないでしょうねえ・・・
で、父親ニコラはポーランドに移住後、(何故だか)一度も故郷フランスに帰らなかったそうですけれど、
息子のフレデリックは、ポーランドを出てからというもの、やはり一度故国へ戻ることはなかったと言います。
何故か?
帰らなかったんでなくって、帰れなかったという話もあります。
ショパンが、ポーランドを離れたのは1830年で二十歳のことですが、
同じ頃ロシア統治下のワルシャワでは、独立運動の機運が高まっていたようなのですね。
1825年にはデカブリストの乱によってロシアの首都ペテルブルクが揺らぎ、
フランスではまさに1830年に七月革命が起こっていますから、
時代の機運というものがあったのでしょう。
このような時代背景にあって、多感な青年ショパンも決して無縁ではなかったのではないか…
という説なわけです。
おお、なんだか骨っぽいところがあったか!
とも思いましたが、後年になっても帰らない(帰れない)理由は、もっぱら病弱(結核)だったせいでは。
やっぱり、なよっと感かも。
「祖国ポーランドが分割下にある時期しか知らないショパンなどはなにかしらの意図を作品に込めるということが無かったんでしょうか・・・」
と、前に書きました
けれど、どうやらそういうことは無かったようですねえ。
