アンカー展

ようやくbunkamuraの「アンカー」展を見ることができました。
クールベの写実主義の影響を受け、「もし人生をやり直せるのなら、バルビゾン派の画家に加わりたい」
と言ったアンカーの作風は、19世紀末にあっても、なるほど古典的です。

絵画ですから、音のない世界であるのは当然としても、
視覚的にがちゃがちゃしたイメージの絵を見たときには、
無意識にがちゃがちゃした音が聴こえてくるような気がすることと反対に、
例えばフェルメールの絵を見て、静謐さを感じることもまた事実です。

そして、アンカーの絵にも、
構図的な類似性も彷彿させるフェルメールと同様の静けさが支配しているものが多くあります。
つくづく混雑していない状況で見ることができた幸せを感じたわけです。

アンカー「髪を編む少女」
ところで、アンカーの絵で目を瞠るもののひとつは、
髪の描き方です。

優雅にぴっちりとなでつけられるような裕福さのない田舎での、
髪も自然と飛び跳ねているかのような、子供たちの様子。
そこに描かれている「髪」には、
感嘆を禁じえない思いがしたのでした。

ポスターその他でメイン・キャラに使われている
「少女と二匹の猫」に描かれた少女。
そして、右側の「髪を編む少女」。

これらばかりでは、ありません。
女の子ばかりか、男の子、
そしておじいさんの頬ひげ(例えば「チョッキを縫うおじいさん」)に
至るまで、やはり注目すべき描写だと思うのでありました。

そうそう、おじいさんものとい言えば、「チョッキを縫うおじいさん」の、
老眼故に針に糸を通すのに難儀している姿や
「おじいさんの膝で眠る孫娘」の、
タイトルに反して「どっちも寝てるじゃん」という姿からは
ノーマン・ロックウェルばりのユーモラスな雰囲気が漂っていました。
 
他にも、「リスの追跡」の男の子の表情、
「ベッドの中の二人の子供」の、毛布に二人してくるみこまれた様子も
やっぱりロックウェルの心温まる世界です。

アンカー「マリー・アンカーの肖像」 実際には、貧しい世界を描いているのですけれど、
体裁よく言ってしまうと、心が貧しくないからこそなのでしょうね。
貧しさは服装で十分に偲ばれるのですね。
「学校へ行く少年、雪景色」の少年の服は
破れて穴が開いたままですし、
そもそも「筆記板を持つ小学生」などで分かるとおり、
手作りの服なのですから。

とまあ、人物画ばかりの話でしたけれど、
静物画や風景画も、アンカーらしい静かさと暖かさは健在で、
それぞれに引き付けられます。

それでもやっぱり、本領発揮は人物画でしょう。
家族を描いている作品も多々あるようですけれど、
その中では幼くして亡くなった息子を描いた「リューデリ」や、
「マリー・アンカーの肖像」は秀逸です。
後者はアンカーの肖像画でも最高峰!の声があるようですから、
「ごもっとも!」なんですけれど、
「リューデリ」の方は息子の死を悼んで、
まさに慈しむように描いたのでしょう、本当に可愛いのですね。

そして、最後に出てくる1901年の「自画像」に見る厳しい顔つきからは、
「ほんとはこんなに厳しい顔つきの人ではなかろうに・・・」と思われるのですね。

これまで全く知らなかった画家、アルベール・アンカー。
つくづく「慈しみ」という言葉が似合う絵に出会えました。