【序】フェルメールの絵からインスパイアされた物語。
    第一話「恋文」第二話「真珠の耳飾りの少女」 とはまた別の形、女性一人称、問わず語りの物語。



奥様もほんとうにお可哀想なこと。
昨年の暮れに、御主人(だんな)様がお亡くなりになったあとは、借金の後始末に追われるばかり。

御主人(だんな)様も生前、少しは絵を描いたりなさってはいたようだけれど、
いっときはたくさんの絵描きさんたちの絵を商っては、
かなり羽振りの良かった時期もあったのにねえ。
奥様もこんなに借金のやりくりに追われることになろうだなんて、夢にもおもってらっしゃらなかったろうに。

まだまだ小さい坊ちゃん、嬢ちゃんもおいでだし、
食べ物の工面だけでも、本当に大変な思いをなさってらっしゃって。

ご覧なさいな、家の中にも、もうなんにもないんだから。
この部屋の壁だって、さっぱりしちゃって。
上の方に古釘が見えましょ。
あそこにも、前はとっても素敵な絵がかかっていたんですよ。
家財道具も一切合財、借金のかたにとられて、こんな殺風景になってしまってねえ。

それなのに、何度か組合長やら副会長なんかにもおなりになった御主人(だんな)様だっただけに、
何かと頼ってこられる方々も、まだまだ多くいるし。

そんなときには、内々のご事情が火の車だってことを悟られなさらないようにしているんだから、
まったく奥様は、気丈な方なんですよ。

家の中には何にも無いってのに、無理をしてでも家の外側はきれいになさってらして。
あんまりのご様子に何度も「いつまでもご厄介になっていてはいけない。お暇をいただかなくちゃ」って、
奥様にお話したんだけど、
「家の前を歩く人を不愉快にさせないためにも、きちんとお掃除しておかなくちゃ。そのためには、
お前が必要なの」って。
この服も、奥様が「身なりはきれいにしておかなくてはね」とくだすったものだし。

そうは言っても、さすがにやりくり算段も尽きてきたご様子でね。
パンももうここにあるきりで、おしまい。
ミルクも、このポットに残っているきり。

でも、こうしてゆっくり注いでいると、
いつまでもいつまでもポットの中からミルクが湧き出してくるような気がしてくるわ。
ほんとうにそんなふうにならないかしらねえ。
良くしてくださった奥様へのせめてものの恩返しができればいいんですけどね、ほんとに。
だから、今日は少しずつゆっくりゆっくり注いでみましょう・・・