元号が平成になって、今年で20年目。
やがて「昭和も遠くなりにけり」ということになって行くのでしょうけれど、
どうしても「昔はよかったぁ・・・」みたいな懐かしみがあって、
近頃では昭和を振り返ることが、まま見られるようになってきてます。
「三丁目の夕日」なんてのは完全にそうなのですけれど、
「そんなにいいことばかりだったわけではないだろうになあ」とも思ったりするわけで、
「嫌われ松子の一生」の昭和は、また別のリアルがあるようにも思われるのですね。
川尻松子は昭和20年代の生まれ、40年代に中学の教師になって、
その後の転落人生たるや凄まじいものがあるわけです。
当時は、家族が多く、親戚付き合いも近しく濃くという世の中だったと思われますが、
そんな大きめの一族の中には、
決まってひとりくらい「変わり者の親戚」がいたようです。
まさに、松子のような・・・。
もっとも、女性のライフスタイルにはまだまだ限り(縛り?)があったようなご時世ですから、
どちらかというと、「変わり者のおじさん」というのが多かったのではと思うわけです。
蛇足ながら、おじさんというのは、そこらのおじさんのことではなくて、叔父(場合によって伯父)さんです。
一族の鼻つまみ者みたいな感じで、何やら親戚の集まりのようなものがあると、
「ところで、あいつは今頃どこで何をしていることやら」
「まともに生きててくれれば、いいですけどねえ」
みたいな会話がなされてしまう人がいたんではないでしょうかね。
「勘当だぁ!」という言葉が生きていた時代ですし、
今ほど情報通信が発達してませんから、「蒸発」みたいなことがあっても見つけられなかったでしょうし。
ただ、いなくなってしまった人たちが、どっこいちゃあんと生きていて、
別の場所で過去を帳消しの新しい人生を送っていたりできてもいた時代なのかもしれません。
水前寺清子の歌ではありませんけれど、
「東京が駄目なら、名古屋があるさ。名古屋で駄目なら、大阪があるさ・・・」というわけです。
そういう人生が果たして「良い」のか、「羨ましい」のか、必ずしもそうは思いませんけれど、
「いざというときにリセットできる」というのは、ありなのかなぁ・・・とも。
米国なんかでは、映画でよく見ることができますよね。
ニューヨークで尾羽を打ち枯らした挙句、西海岸でもう一旗を目論むといった類が。
そんなふうに新生活を始めるのは、もちろん大変なことであろうとは想像しますけれど、
なんだかそこら辺にある種のきままさが感じられなくもないのでして、
これもまた、昭和の世の懐かしさなのかなと、思ったのでありました。
ところで、映画そのもののことを(彦麻呂ふうに)ひとことで言いますと、
「『嫌われ松子』は、にっぽんの『ムーラン・ルージュ』やあ!!」
何故だかは見ていただければ分かりますが、「ムーラン・ルージュ」のお好きな方には叱られるかも・・・。
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